6月26日(木):連想のままに(前)
(契機)
僕は僕自身を変えていく。今の僕の生活に、僕は何一つ満足していない。生活もそうだし、仕事においてもそうだ。そして僕自身に関してもそうだ。だから僕は自分を変えていく。半年くらいのプランを立てている。
この2週間、予約の変更やキャンセルが相継いだ。カウンセリングを簡単にキャンセルや変更されてしまう僕自身が腹立たしい。
一部のキャンセルや変更は、はっきり言ってその人の「症状」なのだ。これに関しては
<Q&A>ページの<Q017>を参照していただければと思う。その他の一部の変更は、単に自分が断れなかっただけのものだ。その相手を断るよりも、カウンセラーを断る方がその人にとっては容易なのだろう。低く見積もられたものだ。
例えばこの前の日曜日のクライアントだってそうだ。休日出勤くらい断ればいいのに。それ以上に大切な問題、つまり彼の家族がバラバラになるかどうかの瀬戸際に立たされているというのに、彼は仕事の方を選んでいる。あの人には見込みがなさそうだと僕は感じた。
(今日のこと)
まず、今日のことを書こう。木曜日の午前は隔週のクライアントに充てていて、一週おきに空きが生じる。今日はその空きの日だ。午前中に月末の支払い関係のことをすべて終わらせる。銀行を何軒か回る。
その間、タバコは吸っていない。半日だけど禁煙した。
酒は夕べ飲んでしまった。もう酒とも縁を切りたいと思っている。僕が酒を飲むのは、酒そのものが目的ではないし、酩酊も必ずしも必要としていない。人の中に顔を出すこと、そして自分が普通に受け入れられ、好かれる人間であるかどうかを確認したいだけなのだ。それを酒の席でやっている。
考えてみれば、そこまで他者の承認を必要としている僕自身の問題がそこにあるのだ。それを変えていかなければならない。
でも、矛盾するようなことを言うけれど、人間関係は制限したい。本当に必要とし合う人とだけ交際するようにしようと思う。なんとなしに付き合いがあるというような関係は切っていこうかと考えている。煩わしさを少なくしたいのだ。
(4本柱)
一方、6月に入って、データや資料のデジタル化を試みている。これは室内からモノを減らすということが一番の目的だ。面接を録音したカセットテープもICレコーダーに吹き込み、パソコンに取り入れ、外部データに移し替えるという作業をしている。
このデジタル化作業、着手して、着手するんじゃなかったと半分後悔している。膨大な分量なのだ。今週の月曜日はテープを三巻、紙の資料を200枚ほどパソコンに入れたが、その程度では見た目にも変わらない。おそらく、このデジタル化作業、10年分、いやそれ以上の期間にわたる資料やテープをデジタル化していく作業は、少なく見積もっても1年はかかるだろう。そればかりをやるわけにもいかないからだ。面接やサイト作業の合間を縫ってやっていくしかないからだ。
サイト作業も遅々として進まない。今月、7テーマ分ほど一気に公開した日があったが、それでも4時間くらい公開作業に時間がかかった。けっこう細かい作業をしていかないといけないのだ。一件で30分から40分はかかる。
サイト作業をある程度終わらせることができれば、次はスマフォ作業が待っている。新たに操作を覚えないといけないし、サイト作業でしたことがそのままスマフォ作業で繰り返される。ウンザリするような話だ。
勉強だってもっとしたい。学ばなければならないことがたくさんある。文学にも触れていたい。以前と比べて、今は勉強の時間が少なく、勉強の内容は倍増しているという有様だ。
こうして、僕の生活の4本柱がそろったことになる。一つはカウンセリングを始め、この仕事に関する業務だ。二つ目はデジタル化作業だ。三つ目がサイト作業、スマフォ作業。四つ目が勉強、文学だ。この4本柱以外のことは僕の生活から、当分の間は、排斥しないといけない。そうでないと時間が足りないからだ。
(かつて見た光景)
最近、とある飲み屋さんで店の女の子を会話をしていると、彼女がカラオケを勧めてくれた。僕はカラオケはあんまり好きではない。気心の知れた数人の前で、カラオケボックスなんかで歌うのはまだしも、スナックなんかで他の未知のお客さんたちの前ではよう歌えないのだ。
カラオケを勧められた僕は「歌うよりも君とお喋りしたい」と言った。彼女は「うまいこといいますね」と。
こんな場面、そういえば、以前にも経験したことがある。もっと昔のことだ。場所はやはり飲み屋さんなんだけれど、好きな女性のタイプを訊かれたのだ。僕は特にないけれど、色は白い方がいいと答えたのだ。
すると、彼女は「もしカノジョがガングロになって日焼けしてきたらどうします?」と尋ねる。僕は「色が白い方が君には似合っているよと言ってあげる」と答えたのだった。その子は「うまいこと言いますね」だって。
口が上手なら、今頃仕事はもっと繁盛していただろう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
これはブログとは別に書いていたもので、長文なので二回に分けることにする。本当はこの後に後編が続くのである。
(平成29年1月)