6月26日:五輪への静かな抵抗

6月26日(土):五輪への静かな抵抗

 

 オリンピックのために来日したウガンダの選手たちからコロナ感染が判明した。最初はコーチ一人だけが感染していて、これは空港検疫で見つかった。このコーチは2週間の隔離ということになったのだと思うが、その他の選手たちはホストタウンである大阪は泉佐野市に向かった。その後、バス運転手と職員たちの感染が明らかになった。すべてインド株であるとのこと。

 そのコーチと一緒に同乗していた人たちは濃厚接触者に入らないらしい。僕には謎だ。いい加減「濃厚」の文字を取り払ったらどうかという気もしている。あきらかに空港検疫の手抜きであるのだが、「濃厚」接触者とは認められなかったということで、政府は責任追及からの逃げ道を用意しているわけだ。濃厚であろうとなかろうと、一定時間接触している人は全員隔離して経過観察しなければならない。人命にかかわることであるからだ。

 政府は、泉佐野市の感染対策の怠慢であるかのような言い分である。それなら、選手や関係者たちだけでなく、ホストタウンの職員やバス運転手など、外国からの招待客と接するすべての人に優先的にワクチン接種しなければならない。そこが間に合っていないのに感染したのはそちらの不注意だといった逃げ口上を言うので憤りを覚える。

 

 まあ、なんにせよ、安心・安全宣言は早々と撤収しなければならないハメになったわけだ。何一つとして安心でもなければ安全でもない。海外選手が日本に到着して早々に感染を広げてしまっているのだから。

 いっそのこと、日本はコロナ危険国です、海外から来る人は自己責任で来日してくださいなどと言っておけば良かったのだ。そうすれば、感染者が現れてもその人の自己責任になるからである。

 ところが、周知の如く、安全・安心な大会にするなどと日本が宣言してきたために、その責任は日本が負うことになる。安全・安心と確約したから参加したのに、選手を危険な目に曝したということになれば、日本は契約違反になる。裁判になった場合、どういう罪になるのか僕は分からない。契約違反か契約不履行か、あるいは詐欺が適用されてしまうのか。いずれにしても莫大な損害賠償を求められる可能性もあるわけで、その賠償はすべて国民の税金で賄われることになるわけだ。バカバカしいにもほどがある。

 安全・安心だからやりましょうと開催国が言っているのに、それを怠れば開催国の責任になるわけだ。その責任から逃れるためには、その虚偽の言葉を既成事実にしなければならないのだ。そのためにはどんな逃げ口上でもぶち上げるだろうし、どんな卑劣な手段を使ってでも潔白を証明しなければならなくなるだろう。現行の政府の汚物がどんどん噴出してくること間違いなしだ。

 

 ところで、なぜオリンピックだけ特別なのかという話もある。僕が思うに、これだけは特別でなければならないのだ。というのは、責任回避ができなくなるからである。例えば、会場付近でイベントを認める、集団でのエキシビジョンを認める、会場入場の制限人数を引き上げる、その他あらゆる人流を認めるようなことをする。そうすれば、感染拡大は国民によるものであって、政府の対応のせいではないと逃げることができるからだ。政府はきちんと対応して、安全・安心を実現した。ところが、それに反発する国民や軽率な行動をとる国民が感染を拡大させ、それを選手や関係者に広めてしまったのだ。こう言い切ってしまえばいいのだ。さらに、専門家にそれに適合した資料を探させればいいのだ。

 この観点に立てば、オリンピック反対のデモ運動なんかは政府には大歓迎だということになる。そこで密を作って感染が拡大でもしてくれたら、政府としては万々歳ではないか。五輪反対運動は静かに行うべきなのだ。五輪で誰一人として儲けさせてはいけないのだ。テレビ放映権が売れたのであれば、そのテレビ放送は史上最低の視聴率を出させなければならない。少しでも盛り上がってはいけないのだ。彼らが正しいという側面を少しでも出させてはいけないのだ。スポンサーたちにも大損をさせなければならないのだ。同じように日本も経済的大打撃を起こさせなければならないのだ。

 もはや中止はあり得ない。強行突破する姿勢だ。それなら東京五輪を歴史に名を遺すほどの呪われた大会にすることである。デモやテロは行わずにそれを実現する。感染を拡大させずに抵抗する。これこそ静かな反抗である。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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