6月22日(水):遠のく退院
本当は病院にいても何もすることはない。医学的処置をこれ以上にやりようがないのだ。安静にし、リハビリをし、回復を待っているような状態だ。痛みもない。
できることなら退院して、自宅療養に持っていきたいと思っていた。しかし、装具の到着に一週間かかるし、おそらく、その後に抜糸があるだろう。抜糸まで入院していた方がいいのだろう。早く退院したいけど、遠のくばかり。僕は今日、早期退院を諦めた。
毎日リハビリの運動をしている。朝5時から1時間おきに実施する。つまり、5時、7時、9時と実施する。11時はリハビリだ。それから13時、15時と行う。それから母が来るので、15時を最終とするか、19時を最終にする。
こうして足を動かしているのだけど、看護師さんからは僕がそういうことをしていないと評価されているようだ。信用されないっていうのが一番腹立つ。一瞬、タバコが欲しくなった。
あの看護師たちには頭に来る。自分が見ていないだけなんだ。僕がやっているところを見たことがないだけなんだ。そこから僕が「やっていない」と結論に飛躍するだけなんだ。でも、考えてみれば分かるように、看護師さんを呼ぶ時は患者が何もしていない時なんだ。患者が何かしている時には看護師さんを呼ぶことがないのだ。
今日は、朝の5時から歩行器を使って、病棟を一周する。7時にもまた一周する。5時に、僕を担当する看護師の一人と会った。「朝の5時なので休んでいてください」と彼女は言う。僕は「放っておいてください」と。朝の5時だからこれをするのだ。
僕が室内でリハビリ運動や歩行練習をするのは、廊下を歩くと、他の人と衝突したり、病院業務の妨げになるようなことが起こりそうに思うからだ。朝の5時なら、そういう心配もなく、廊下を独り、悠々と歩行練習できる。5時だからすることなのだ。
7時にも、もう一周する。看護師さんたちがお茶を配って回っている。こういうのに衝突するから、みんなが活動し始める時間は部屋に籠っていたいのだ。まあ、いい。今朝のお茶係は、僕を担当するさっきとは別の看護師さんだ。彼女には「僕、おらへんけど、勝手にお茶入れといてね~」と言って、それとなく「歩行練習やってます」アピールをしておく。
7時以降は室内運動に切り替える。夕方、母が見舞いに来た時に、付添人を母にして、松葉杖で二周する。そう松葉杖の許可が出たのだ。
リハビリでは、膝を曲げることに関しては昨日より幾分後退したが、力を入れたり、動かす方では昨日よりも進展している。松葉杖も練習させてくださいとこちらからお願いした。僕の松葉杖の歩行が思っていた以上に安定しているとリハビリの先生は評価してくれた。それもそうだろう。一週間ほど前に、高槻の病院で教えらえたばかりだもの。
シャワーの許可も下りる。洗面台で頭を洗い、体を拭くことしかできなかったけど、久しぶりのシャワーは爽快だった。いささか不自由な姿勢でしなければならないのが難点だったけど、それでも、そんなことが苦にならなくなるくらい、爽快だった。
早期に退院して、仕事に戻る。気持ちがすごく焦っている。でも、終わらせることは終わらせてから退院した方がいいと思い直す。早期退院は断念する。
入院生活は退屈だけど、パソコンが持ち込めただけ、まだましである。いろいろ原稿を書いて過ごすことができる。
食欲は普通にある。日常生活に不具合はない。
昨日辺りから勃起が見られる。非常にゆるやかな勃起だが、とてもうれしくなってくる。こういう所から、「ああ、回復しているなあ」と実感することも多いんじゃないかと僕は思う。と言っても、女性には理解し難い感覚なのだとは思うけど。
一瞬、タバコが欲しいと思ったものの、なんとか禁酒禁煙10日目を無事に終えようとしている。健康になったという実感はまったくないが。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)