6月21日(火):サバイバルの時代
今日は高槻は定休日だ。代わりに副業の方へ行く。
昨日、太もものスジをいわしてしまい、常にそれが不安だった。足首辺りにも痛みが生まれている。それらを庇うと腰がやられるのだけれど、腰の辺りにも疲労感が強く感じられている。そして、膝の心配もある。
従って、ヒザ、太もも、足首、腰の4か所の痛みを気にしながら動かなければならない。いい加減、神経が参ってしまう。
痛くても、痛みは隠さなければならない。余計な心配をかけないことと、余計なペナルティを生み出さないためだ。見た目だけでも健康そうにしていなければならない。
ナチスの強制収容所に送られたユダヤ人の気持ちで今は生きないといけない。彼らは収容所に到着すると、仕事のできる人間か否かで選別される。ウソでも「これこれのことができます」と言わなければならないのだ。仕事のできない人間はガス室送りになるからだ。
今の日本、仕事ができなくても生きることはできるだろうけれど、気持ちの上ではそれくらいの気持ちを維持していないといけない。特に僕のような人間の場合は。
仕事の方は、精彩を欠く。構わないさ。確かに、僕の方でももっと努力できる余地があったのに、いわばそこをサボってしまっているのだから、僕の方にも落ち度がある。そこは正直に認めよう。
ただ、何としてでもここに食らいついて、長く雇ってもらおうっていう気持ちは薄らいでいる。そこまで「後がない」という感覚はなくなってきている。
ここで使ってもらえなくても、どこかで僕を使ってくれるところもあるだろう。気長に探し続けた方がいいのかもしれない。そう、最初からすべて決めてしまおうという僕の考えを多少は修正した方がいいということなのだ。
とにかく、今はできるだけのことはしよう。体のあちこちに爆弾抱えてて、それを気にしながらの仕事になるかもしれないけれど、できるだけのことをすればそれでいいかと今は思うようになっている。
本業の方で仕事が減っても、拠点となる事務所があれば、何かとできることもあるだろう。とりあえずは、経費と資金を獲得していくことだ。
コロナが憎い。いや、日本の政治が憎い。加えて、このHPを作成しているIT屋も憎い。検索順位が落ちまくっているのに指をくわえて眺めていたのはIT屋の連中である。僕の方は何とかしようと、こまめに更新もしてきた。指をくわえて眺めていただけのくせに、こまめに更新しても無理ですねえなどとほざきおる。それならそれに代わる提案をもっとしたらどうだと言いたいくらいだ。
世界全体が厳しい状態に入っている。1930年前後の状況が再び世界に降りかかるだろうと僕は思っている。戦争は長期化し、尚且つ、規模が大きくなっていくだろうと思う。そしておそらく核兵器も使用されることだろう。日本は直接的に参戦しないかもしれないし、核兵器の被害に遭わないかもしれないが、間接的に多大な影響、被害を被ることだろう。
国も、企業も、個人も、すべてサバイバルの時代に入っていくのではないか。そんな気もする。
だからというか、僕は一足早く、サバイバルの世界で生き始めることにした。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)