6月20日(火):バスに乗る夢
<夢>「バスに乗る夢」
僕は旅をしていた。ツアーか何か、そんな感じだった。大勢の人たちと一緒だった。20人くらいはいたんじゃないかと思う。僕たちは自然豊かな田舎道を歩いていた。どこかに向かうところだった。バスが僕たちを追い越して、僕のすぐ目の前のバス停に止まった。僕はこれに乗ればいいんだと思った。同じ目的地に向かうバスのようだった。僕は乗り込んだ。他のみんなも乗車するだろうと思っていたら、乗り込んだのは一部だけだった。後の人たちは歩いて行くと言っているそうだ。後で合流するのだから問題ないだろうと僕は思った。バスのシートに座っていると、右隣の女性が話しかけてきた。彼女は僕の知っている人だった。僕たちは一緒にお喋りをして過ごした。
<連想と感想>
ああ、なんか僕らしい夢を見たな。真っ先に思ったのがそれだった。
僕は団体の中にいるけど、団体の全員にコミットしているわけではない。ごく少数の人とだけかかわっていた感じだった。集団とか団体というのは、波であり、大きなエネルギーでもある。僕はそのすべてにかかわっていない。でも、流れに従うという形でエネルギーの波に乗っているようだ。
ここが僕らしいのだけど、僕はそのエネルギーを二分させている。僕たちはバスに、後の人たちは徒歩になる。目的地に向かうのは同じであり、どちらがいいとも言えない。ただ、徒歩組の方が無駄なく目的地に到着できるような気がしている。
夢の中の僕の行動だ。バスが来たのでバスに乗る。乗ったら知り合いの女性がいたのでお喋りする。僕が何かをする時もそんな感じだ。目的地に着くことよりも、その過程を楽しむ、その過程で生じることに気持ちを奪われる、そういうところが僕にはあるように、自分でも思う。
徒歩だろうとバスだろうと、どちらでもいいのだけれど、集団を二分させていることに気づいたほうがいいのかもしれない。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)