6月18日:地震なんて来るんじゃね~よ

6月18日(月):地震なんて来るんじゃね~よ

 出勤する直前、地震が発生した。朝8時の数分前という頃だった。

 いやな予感はしていたが、駅に向かう。案の定、電車はストップしていた。復旧の目戸も立たないらしい。仕方なく、そのまま帰宅。「地震なんて来るんじゃね~よ、バカヤロ~」などと独り毒づきながら帰宅。以後もこの毒づきは僕の中で繰り返し響いていた。

 テレビをつける。もっぱら地震のことを報道している。電車はすべて運転見合わせになっている。阪急もJRも京阪も、すべてストップしているということだった。

 今週はやや仕事が多い週だったのに、これで先行きが暗くなってきた。今日の仕事はすべて中止だ。明日はともかくとして、明後日以後も影響が出るかもしれない。

 不思議と職場の心配をしていなかった。震源地は高槻ということになっていたけど、テレビの報道を見ている限り、茨木市や枚方市の方が被害が大きそうに思われた。

 それでも電車が動き始めたら、職場に出ようと思っていた。ウチにどの程度の被害が出たのかを把握しておきたかった。

 家にいる。常にテレビの前に座っていた。少しでも時間が経つと交通機関の情報を確認する。そして、時間が経つほど、被害の報道が多くなってくる。けっこうな地震だったんだなと思う。

 もし、今日、いつもより早く家を出ていたら、電車の車中にて地震に遭遇していたかもしれない。車両から出て線路を歩く人たちの一人になっていたかもしれない。運良くというか運悪くというか、地震前に高槻に到着していたら、今度は帰れなくなっていただろう。帰れなくなったとしても、職場で朝まで過ごせばいいだけのことだが、停電や断水が起きていると厄介である。結果的に、電車に乗る前で良かったのかもしれない。

 夕方頃までテレビ前で粘ったけど、もういいやと思い始める。おそらく、今日中の復旧は無理だ。それに、夜遅くに電車が動いたとしても、すぐに帰らなければならなくなるようなら、明日まで待つ方がいいや。

 大体、この辺で開き直りが生まれた。

 開き直ると、後はフリータイムを満喫した。映画を観て、音楽を聴き、ミステリを読む。好きなことだけをしたという感じだった。

 地震のおかげで自由を満喫できたという話はあまりに不謹慎だな。この地震で死傷者も出ているのだから、お悔やみを申し上げなければならないのだが、僕はこのブログではそういうことをしないでおこう。

 亡くなった人を弔う気持ちもあるけど、幸か不幸か、僕はこうして生き残っている。僕は僕の生に目を向けざるを得ない。

 今回の地震は観測史上初めてのことらしい。大阪を震源地とする地震というのは、約100年近く起きていなかったらしい。高槻は平和だと言った人のことが思い出される。たまたま大きな災害が発生しなかった時期に生まれただけのことで、高槻が他の地に比べて安全であるとは証明されない。日本の国土で、活断層が走っていない所なんて無いのだから、全国のどこでも地震が起き得るし、震源地になり得るのだ。

 後、今朝のことを追記しておこう。駅のところで女子高校生が3人固まっていた。一人がしくしくと泣いているようだった。さりげなく会話を聞いてみると、「今日、誕生日だったのに~」と言っているのが聞こえる。ああ、そうか、今日は誕生日で、友達が何かとしてくれるはずだったのだ、それが地震のために交通が不通となり、学校も休校になり、それで嘆いているということか。友達なら日を改めて誕生日を祝ってくれるだろう。それに、後になると、今日のことが一番印象に残る誕生日になっていたなんてこともあるかもしれない。何事も悪いことばかりではないものだ。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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