6月16日(日):ミステリバカにクスリなし~『死のスカーフ』
E・S・ガードナーのぺリイ・メイスンシリーズの一作。1958年の作品。
ベストセラー作家モーヴィス・ミードの秘書グラディス・ドイルは、ミードの代理として、彼女の小説を映画化したいという映画会社の宣伝部との協議に出向くことを命じられる。場所は冬山のリゾートホテルで、ミードはその帰り道として近道をドイルに教える。
協議を終え、ホテルを後にするドイル。雪が降りしきる中、車を走らせる。教えられた通りの近道を進むが、たいへんな悪路であり、泥濘にタイヤがはまり込み立ち往生してしまう。途方に暮れたドイルは山道をくだり、一軒の山小屋にたどり着く。
山小屋には男が一人。彼女はそこで夜を明かすことになった。朝になると、昨夜の男は姿を消しており、代わりに見知らぬ男の射殺死体が転がっていた。自分の立場が危ないと悟ったドイルは急いでミードのアパートまで逃げ帰るのだが、そこもひどく荒らされていた。何者かが何かを捜した後のようだった。そして、雇い主のミードの姿もない。孤立無援で怯えたドイルはぺリイ・メイスンに助けを求める。
メイスンの登場は第4章からで、従来の作品ではここから始まる。依頼人がメイスンを訪れる場面から始まるのがパターンだったのが、本作では依頼人がメイスンを訪れるまでのいきさつが描かれている。
従来のパターンとは違う構成となったのは、おそらく「地図」のためであろう。ミードがドイルに渡した地図(ネタバレ・実は二種類の地図がある)と、近道の説明(右折するか左折するかの指示)のくだりのためであると思う。
依頼を引き受けると、依頼人のために全力投球するいつものメイスンが現れる。秘書のデラ・ストリートとお抱え探偵社のポール・ドレイクの活躍も相変わらずだ。彼らは事件現場となった山小屋を訪れ、殺された男の身元を警察よりも先に特定し、男の家まで訪れ、被害者の妻と面会する。それだけでなく、映画会社の宣伝部の人間、つまりミードと打ち合わせを求めた男にも会いに行く。もちろん、依頼人の雇い主であるミードにも会いに行くが、彼女の周りには用心棒が控えており、一筋縄ではいかない。
ぺリイ・メイスンは実に行動的であるわけだ。タフガイを売り物にするハードボイルドの探偵以上に活動的である。僕はここに一つの魅力を感じる。メイスンものは後半に裁判シーンが用意されている。前半はとかくメイスンたちが活動し、作品に躍動感をもたらす。後半は、動きは乏しくなるかもしれないが、その分、検察側と知的バトルが展開される。なんだか一冊で二度美味しいみたいな豪華さが感じられるんだな。
さて、事件は被害者の身元も分からず、山小屋にいた男も行方不明となっている。殺人の動機も分からない。おまけにミードの部屋が荒らされていたのも、何が捜索されたのか手がかりがない。五里霧中を手探りで進んでいくような感じで展開する。おまけに、山小屋でメイスンたちが見つけたスカーフ(これはミードの所有物だ)、加えて、メイスンたちに密告する謎の人物なども現れる。山小屋を借りたのは誰かといった謎もある。そして、山小屋にいた男をついに突き止めるなど、謎に満ち溢れた物語がスピーディーに展開していくのも本作の魅力だ。
ぺリイ・メイスンという弁護士、依頼人にとってはとても頼もしい弁護士となるが、検察側からすると実に厄介な弁護士となるようだ。地方検事がこんな言葉を漏らしている。
「ぺリイ・メイスンを相手にしているときには、その理念が理念にならんのです。勝負の札を配りあうときにも、メイスンが一枚くわわると、札を公平に配ることができなくなるんです。かれはわれわれにこれこれの札をにぎらせたいと考えると、そのとおり自由自在に配ってよこします。好きな札を、山のいちばん上におくこともできる。なかほどに入れておくこともできる。いちばん底に入れておくこともできる。しかもそれで、自分のほしい札だけは、ちゃんと最初から手に入れてしまっている」
案外、メイスンの本質を突いた表現(または苦言)であるかもしれない。
ミステリはネタバレをあまりしてはいけない。そういう暗黙のルールみたいなのがあるので、思うように書けないのがもどかしい。ここからは少々ネタバレするかと思う。
本作はなかなか込み入ったプロットが立てられている。まず女流作家のミードであるが、彼女が優秀な秘書を求める背景も、山小屋を借りなければならない事情も、用心棒を周りに置かなければならなくなった事情も、その他、彼女が書いたヒット作「やつを撃ちころせ」にまつわる事情も、一つ一つがプロットとして組み込まれている。
また、山小屋にいた男、リチャード・ギルマンは政府の秘密諜報員であり、極秘の任務に当たっていたのである。その任務もまたミードと関わりのあるものであった。
山小屋で殺された男、ジョセフ・マンリーは、表向きはブローカーだということになっていたが、二重生活を送っている。彼もまたミードと関わりのある人物である。彼の妻もまたこの事件に関わりを持っている。
プロットはすべてミードを中心にして組み立てられており、なかなか入り組んだ構図を有している。地図が二種類あったこと、ならびに、ミードのアパートが実は二度にわたり荒らされていたことなどもプロットを錯綜したものにしている。山小屋の指紋の問題、そしてミードが所有するニッポン製のスカーフがその山小屋で発見される経緯などなど、細部までプロットが練られているのが感じられる。
加えて、ドイルの無罪が証明されると同時にジョセフ・マンリー殺害の真犯人が判明し、ギルマンらの極秘任務も解決していくなど、すべてが大団円となっていくくだりも爽快だ。グラディス・ドイルとリチャード・ギルマンの仲もいい感じになっていくようだ。良質のミステリを読んだという充実感が味わえた一冊となった。
あと、ストーリーの本筋とは関係がないが、メイスンがドイルに黙秘するように命じる場面がある。ただし事件以外のことであれば、幼少期のことであろうと趣味や嗜好のことであろうと、何を話してもいいという。新聞記者はそれで記事を作るのだからという。なるほど、現実の事件でも容疑者や被害者の幼少期のことが記事になってるけれど、案外、当事者にとってはどうでもいい内容のことであるかもしれない。僕の中で妙に腑に落ちるものがあった。
僕の唯我独断的評価は4つ星といったところだ。
<テキスト>
『死のスカーフ』(The Case of the Mythical Monkeys)E・S・ガードナー著(1958年) 宇野利泰訳 ハヤカワポケットミステリ