6月15日(日):ヤケ酒のツケ
何もかもがいやだ。僕自身に関することのすべてに嫌気がさしている。今の自分にも、生活にも、仕事ぶりにも、何一つとして満足していない。
昨日、予約が相次いで3件もキャンセルとなった。土曜日の稼ぎ時に閑になるなんて。嫌になったね。予約をキャンセルするというのは、それ自体症状である例が多いのだけれど、そこはなかなか理解してもらえない部分だ。
それで昨夜はヤケ酒だ。キャンセルされるのなら、一体、何のために事務所を構えているのやらだ。ヤケ酒のツケが今日にきた。
今日は家の事情で外出している。仕事は休みにしている。本当はこんなことをするのも嫌なのだけれど、約束してしまったものは仕方がない。新たな約束は控えて、すでになされている約束は遂行しよう。僕自身は何事もキャンセルしないようにしよう。
二日酔いで気分が悪く、もう酒なんて飲みたくないと思う。また、タバコも欲しくなくて、今日は朝から夕方、17時頃まで一本も吸わなかった。今日から禁酒をし、禁煙も少しずつ取り掛かろうと思う。
20年近く喫煙歴があるが、それがある日を境にしてきっぱり止められるとは僕は思わない。よっぽどのことがない限り、そういうことは起こらないものだ。何度も失敗と成功を繰り返し、徐々に習慣というものは変わっていくものだと思う。
昨夜寝る前の一本が最後だった。2時近かった。だから今日は15時間、タバコを吸わなかった計算になる。これが今の記録だ。次にやる時は、この記録よりも少しだけ伸ばすことができればいい。そう考えている。
ところで、酒もたばこも本当は悪いものではない。どっちが害があるかなんてことを言う人もいるけれど、論点がずれすぎている。健康食品だって害になる場合があるのだ。
つまり、僕の言う害というのは、その人を破綻に導くという意味だ。従って、酒を例にしても、酒の席で自分を拡張すること、つまりネットワークを築いて自分の世界や見聞を広げたり、いろんな催しに参加して関係を広げていくなど、そういう酒は望ましいものになる。ところが、同じ酒でも自己を縮小させるようなものになっていれば害である。
タバコも然りだ。精神的に不活発である時の喫煙習慣などは害になる。自己を拡張する活動における刺激剤となっていれば、それは害とは言えないと、僕はそういう考え方をしている。
だから、健康食品とか健康法も、それを毒にするか薬にするかはその人次第ということになる。一生懸命健康食品を取り入れても、それに全神経が注がれて、その人の生が縮小しているようであれば、それはむしろ弊害をもたらしていると僕は思う。身体的には望ましいものを取り入れていても、精神的には不活動で、強迫的であるようなら、その精神的問題は身体にも影響を及ぼすだろうから、その人は結局身体的にも望ましいことをしていないということになる。
まあ、それはさておき、僕の酒やタバコは、時には物事を熟考する時には不可欠な相棒でもあるけれど、その他の時では、むしろ僕の精神を蝕む。そういう飲み方をしているのだと自分で思う。
つまり、何かをしないために、酒やタバコを隠れ蓑にしているように思うのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
敢えて比較すれば、タバコよりも酒の方が害が大きい。タバコの方が悪いと考える人の方が多いようだけど、僕は逆だと考えている。だから、酒とタバコとでは、酒を一番に止めた方がいいと考えてしまうわけだ。
(平成29年1月)