6月13日:「伴奏をつける夢」 

6月13日:「伴奏つける夢」 

 

 昨日に引き続き、今日も夢を見た。これも前後が失われてしまっているが、次の一場面はよく覚えている。 

 

 (夢)「僕は女性と一緒だった。彼女が歌を歌い始める。僕はその歌なら知っていると言って、そこにあったギターで伴奏をつけようとする。でも、そのギターがとても小さくて、コードが押さえられない。そこで僕はギターを置き、ピアノで伴奏する。でも、そのピアノもどこか弾きにくいものだった。ちなみに、その歌はなぜかビートルズの『イエロー・サブマリン』だった」 

 

 楽器は音楽のための道具である。昨日は道具がなかったが、今日は道具を用いている。その限りでは前進した観がある。でも、その道具は、今の状況において、僕に適したものではない。その状況に適した道具を僕はまだ持つことができていないということのように感じた。 

 では、その道具とは何だろう。ここでは楽器となっている。音楽とは感情の芸術だとユングは言う。感情が適したものとなっていない、道具として活用できるにはまだ適していないということだろうか。 

 この女性は歌い手である。シンガーだ。歌手は常に人前に姿をさらす立場である。演奏者はその背後の存在だ。彼女は前へ出ようとする一つの人格だ。僕の中の人格の一部だ。僕はその部分に同一化できていない。と言うのは、僕は背後で演奏する側の人物の方に同一化しているからだ。 

 仕事の幅を広げるために、僕はもっと前へ前へと出て行かなければいけないなと考えていた。夢は、僕がまだそのような人格に同一視できていないことを示す。むしろ背後の伴奏者の役割を担っている。しかも、この伴奏者はそれに適した道具を持っていないということになる。何よりも、前へ出ることではなく、今はそれに適した道具を持つということが今の僕のテーマのように思う。 

 その道具は感情(音楽)であり、僕の過去(子供の頃、ビートルズが好きで、「イエロー・サブマリン」は特に好きだった)と関わる何かである。 

 僕は自分の過去や感情をもう一度掘り起こしてみる必要があるのを感じている。そうすれば、この女性は歌うことができるようになるだろう。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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