6月11日:対象との関わり

6月11日(金):対象との関わり

 

 今、時刻は19時。最終枠のクライアントが変更になったので、今日はもう帰ろうかと思う。その前にブログだけ仕上げておこうと思い、書く。

 

 昨夜は2時頃まで本を読んで、今朝は7時には活動を開始していた。それから、休憩を挟みはするものの、けっこうフル活動している感じだ。少数の予定作業はこなし、サイト原稿を2時間ほど書き、1時間ほど勉強もしている。自宅と職場の整理も若干ながら進める。帰宅後は、22時から1時まで勉強時間だ。これは日課にしようと思っている。

 22時から開始と言っても、実際は30分ほど前倒しで始めることが多い。1時までの3時間を勉強に充て、その後は速やかに寝るという計画であるが、2時頃まで布団の中で本を読んでいたりする。生きている間にできるだけ本も読んでおこう。

 

 問い合わせが2件あり。どちらも予約に結び付かず。というよりも、最初から予約を取る目的で電話をかけてこられたのではないのだ。僕の方でも時間があれば多少は相手するつもりではあるが、忙しい時は付き合いきれない。

 精神病になりたくなければ、人生を無為に過ごさないことだ。常に何かに取り組んでおく方がいい。虚無の世界に生きるから精神が病むのだ(実際はその逆であるのだが)と僕は考えている。親子関係だの、幼児期体験だの、トラウマ体験だのは、ほとんど関係がないと僕は信じている。

 何かに取り組むとか、打ち込むとかいうのは、要するに対象との関係である。この関係を積極的に維持していくということなのだ。この関係は、決して外から与えられるものではなく、自分の内側から自発的に求めていかなければならないことなのだ。僕はそう考えている。だから人生を有にするも無にするも、現在のその人次第なのだ。

 人間が虚無の世界に生きるほど、感受性が高まる。意識や感覚が他に注がれることがなくなるからである。感受性が高まるとは、痛みとか不快とか不安感とか、そういうものを敏感に感じ取るようになるということだ。些細な痛みでも敏感に感じ取り、現実の痛み以上の痛みとして体験してしまったりすることになるわけだ。

 

 ともかく、不安の絶えない人生だ。不安に打ち克つためにも、打ち込む何か、情熱を注ぐ何かを持っていなければならない。その対象が人であることが一番いいのではあるが、そういう人がいないのであれば、仕事や作業なんかでもいい。人であれ人以外であれ、関わる対象をしっかり持っておいて、関わる時は懸命に関わることにするのが一番よいことのようだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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