6月10日:生きることの苦しさ

6月10日(日):生きることの苦しさ

 6月に入って10日目か。今月の3分の1が終了したことになるのか。多少とも前進しているだろうか。なんだか、バタバタとやっている割には進展している感じがしていないが。まあ、いい。そんなことを考えずに、やれることをやっていこう。

 今日は腰痛が気になる程度。膝や足の方は今のところ問題なくきている。体のことから始めるのは最近の動向だ。真っ先に気になることだ。

 この一週間、お酒もほとんど飲んでいない。月曜日に飲んだのが最後だ。いや、木曜日に缶チューハイを買って飲んだな。あれも、一本飲んで、もういいやって気持ちになった。

それでいて、夜更かしすることが多かった。サイト作業などをやって、遅くなるのだ。大体、2時とか3時くらいになる。4時頃までやった日もあった。

 けっこうハードな日の連続だったな。そのせいか、体重がかなり減っていた。今朝、久しぶりに体重計に乗ったのだけど、4キロ近く減っていた。ちょっと嬉しい。でも、いい減り方ではないな。不健康なだけだ。

 今日は、朝と午後からの2件だけだ。その他の時間はN氏のケースを書いていた。3回目面接の面接篇と解説篇の計6ページ分、A4用紙18枚程度、を書いた。これを公開するかどうかは未定だ。未定でも書いて残しておく。

 未公開のサイト原稿がかなりある。また、ブログの方に再録予定の原稿もけっこうある。さらに、公開する意図はないけど公開してもいいかなと思う原稿もそれなりにある。数えてみると、300ページ分くらいあった。ストックは常にたくさん持っておく。その方が安心だ。書けなくなったり、書くことがなくなったりしても、公開できるものが300もあれば安心できる。仮に、一日一つずつ公開していっても、300日はもつということだ。いざと言う時のために、いつでもストックを抱えていないと。

 朝、珍しく父が声をかけてきた。きちんとやっていれば、いいことはある、と。

 いいことなんて期待できないと僕は思っている。

 でも、父も団塊世代の人なんだなと思う。進歩思想を純粋に信じているのだなと思う。父くらいの年代層は、子供時代はモノがなくて苦労したという話をする。戦後を経験したのだ。その代わり、経済成長を彼らは経験しているのだ。働けば働くほど、生活が良くなるという経験をしているのだと思う。今は、そんな時代ではない。いくら働いても、なかなか生活は良くならないし、過労死する人も現れるくらいだ。

 それに、これは僕の偏見かもしれないけど、昭和の30年代なんかは、なんとかして生計を立てることが可能だった時代だと思う。仕事にあぶれても、なんらかのことができて、それでかろうじてでもやっていくことができた時代だと僕は思っている。あくせく働く気がせず、実家の一角を改装して、商品を仕入れて、小さな雑貨屋を開いて生計を立てたという人もいた。クライアントの祖父にあたる人のことだ。大きく売れることはないけど、一日、店の奥でぼんやりして過ごし、客が来たら対応するといった仕事でも、やっていくことができたようだ。今はもうそんな時代ではなくなった。

 もっとも、生きていくことが苦しいことであるのは、今も昔も違いはないかもしれないが。

 ああ、酒がほしい。ダラダラと書いているのは、僕の中で葛藤が起きているからだ。飲んでもいい。でも、せっかく減った体重が一気に元に戻るのかと思うと、やりきれない。

 僕がこの後、どうしたかは、明日のブログで綴ろう。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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