6月1日:腰痛とジェネリック

6月1日(金):腰痛とジェネリック

 今日は仕事や予定を入れないようにして、実は、休みにしようと計画していた。現在、金曜日に来るクライアントが少ないので、前もって仕事を入れないようにしておくことも可能である。そうして、今日のこの日を空けておこうとしていた。一日空きを作って、家のことを片付けようと、前々から思っていた。

 しかしながら、いくつかやり残している事務作業があり、そのために高槻に来た。昨日、終わらせておけばよかったのだけど、ウッカリしてしまった。

 まあ、その事務作業そのものは苦でも何でもないのだけど、問題はこの腰痛だ。数日前から兆しは見えていたものの、昨日から激しくなった。昨夜はそのためほとんど眠れずだ。今日も、「腰が痛え」などと呻きながら高槻まで出てきた。

 本当に腰が動かせないのだ。少しでも動くと激しい痛みが走る。くしゃみや咳をしただけでも痛む。屁をこいても痛む(これはジョークではない)。

 結局、高槻に来て、事務作業を済ませる。何時間か勉強したり原稿を書いたりして過ごしたけど、ずっと椅子に座っているのもキツく、横になって、安静にしている時間が大半となった。

 横になって安静にしていると、ラクだ。ボーっと天井を眺めて、ますます自分がダメになっていくような気持ちに襲われていく。もう、このまま死を迎えたいくらいの気持ちだった。いや、そうして死を迎えることができたらなあという願望であったかもしれない。

 人は死を恐れたりはしないものだ。死を恐れるのではなく、死に方を恐れるのだ。自分がどこで、どんな死に方をするかに人は怯えるのだと僕は信じている。死そのものは畏怖の対象とはならないものだと思う。

 とは言え、死なしてももらえないのだ。まだまだこなさなければならない予定がある。すでに決まっている仕事がある。終わらせなければならない作業もたんまりある。身に着けなければならない知識や技術もごまんとある。まだまだ生を終わらせてはもらえないのだ。

 痛みがあると、とにかく鎮痛剤を服用する。痛む時は安静にするのが一番であるが、常に安静が許されるわけではない。だから鎮痛剤を使用し、痛みを抑えて、仕事なり作業なりをしていかなければならない。

 この鎮痛剤であるが、今回、ジェネリックの薬に変えてみた。100円から200円近く安値だった。薬剤師さんの言葉では効用は同じだそうだ。

 確かにそうだ。含有成分ならびに含有量が同一であれば、同じ効果があるだろう。僕も単純にそれを信じてしまった。しかし、効き目は同じでも効き方まで同じかどうかは不明である。

 僕はいつも「ロキソニン」を使用していた。箱の青い方だ。それを今回は別の品物に変えたわけだ。多分、そこには心理的な違いがあるという気がしている。いつもの馴染んでいる薬、今までも頼ってきた薬というだけで、心的に違いが生まれる。

要するに、その薬への信用度が違うわけだ。この信用度の違いは初めからあったものだけど、あまりそこに気づかずにいた。案外、このことが薬の効き方に違いが生まれるかもしれない。今日、そう思った。

 確かに、ジェネリックの方も鎮痛作用はある。ロキソニンと同じである。個人的には、ロキソニンよりも効き方が遅いような気がしている。もちろん、測定したわけではないし、どの程度の痛みの時点で服用するかによっても異なることなので、これはあくまでも僕の個人的感想である。

 そして、この相違は、薬そのものにあるのではなく、僕の心理的な要因にあるのかもしれない。いや、きっと、そうなのだろう。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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