5月8日(月):個人を超えたところのもの
今日は忙しい。午前中は面接をこなし、昼から外回りをする。銀行、薬局など、6軒ほど回る。
午後からは、業者に連絡を取り、原稿を書く。パソコンの電源が不意に落ちる。また、これになったかと、いささか落胆する。電話を数件受ける。
夕方から夜にかけて、再び面接。その後、再度原稿を書こうとするも、しばらくすると電源が落ちる。今日はもう止めだ。そして、お酒を飲みに行く。
酒を飲む。飲んでも、いいことなど何もない。ただ、人の集まる場所には顔を出そうという気持ちだった。連休中、一週間ほど、ほとんど誰とも会わない生活を送ったのもあって、今は人中に出ようという気持ちになっていた。
それで、もう十分だ。明日から、またこもりがちな生活を送ることができそうだ。
独りでいることもできれば、人中でもそれなりに楽しめる。それが分かるだけで、今日の成果ありだ。
今日はお金の話をよく聞いたな。二人のクライアントがそれに関する話をしたし、飲み屋でもその手の話を耳にした。
お医者さんが開業するとなったら、一昔前なら銀行もどんどん融資したのだけど、今はそうではないらしい。その医者が有名であるとか、二代目であるとか、そうした要素があって、患者を集める力がどれだけあるかを審査されるらしい。なかなかシビアな世の中になったものだと思った。
物事はなんでもお金に換算することが可能である。はっきり言って、どんなことに対しても換算が可能である。僕の家から職場まで30分ほどかかる。これもお金に換算することができる。時給の半時間分として計算することができるわけだ。
人間もお金に換算されることがある。例えば、高額納税者だのフォーブズなどというのがそれだ。資産をいくら有しているかで、その人が評価されることもある。「一日1000万円稼ぐカリスマ販売員」とか、そんなコピーが個人に付されることもある。実に低レベルの話だと僕は思う。
お金を稼ぐ人が必ずしも優秀な人間とは限らないものだ。ある人がモノを売る。売れるのはその人の能力よりも、商品の魅力やPRにあったり、会社のネームヴァリューによるところの方が大きいだろうと思う。
ある保険会社の勧誘員の女性だけど、彼女が成績がいいのは、彼女の営業によるものではないのだ。その大手有名保険会社の名前があるからだ。もし、知名度のまったくないような会社だったら、さすがの彼女も、勧誘する以前に、門前払いを食らうのがオチである。決して、自分の力などとうぬぼれてはならないのだ。
どの人も自分が優秀だとか有能だとか、うぬぼれるなかれ。個人を超えた領域のものが、どれだけその人の仕事を助けているのかに気付いていない人たちも多いものである。
一人の人が仕事をしてお金を稼ぐ。個人の労働力とか能力、技術なんてものは、ほんの数パーセントしかそれに貢献していないものだと僕は思う。あとの90数パーセントは個人を超えたところのものである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)