5月7日:オンラインカウンセリングなんて害しかない

5月7日(木):オンラインカウンセリングなんて害しかない

 

 連休明けの始業日。今年の連休は、緊急事態宣言もあって、思い切って全部休んだ。予約も入れないし、電話も出ないし、誰かが来ても対応しない。電話や来客に対応したら営業したと見なされてしまうからだ。電話は何本かあったけれど、すべて無視した。

 表向きは営業していないけれど、職場には出てきた。職場に来なかったのは一日だけだ。本当は外出を控えないといけないのだけれど、家にいると、退屈だとか言って、何かと用を見つけてはチョクチョクと外出していただろうと思う。ところが不思議なことに、職場に来ると、朝から晩まで一歩も外に出なくて平気なのだ。職場にいる方が却って外出が減るようだ。

 昨日までは緊急事態宣言の期限に含まれていた。一応、延期ということが決まったが、この決定は遅すぎる。僕は今日から普通に勤務すると、緊急事態宣言が大阪に発令された時から決めていたのだ。この日までは自粛するが、次の日からは通常通りに仕事をすると決めていたのだ。

 まあ、延期が決まった以上、多少の自粛は続けなければならないが、とりあえず、今日は平常通りに出勤した。ただ、面接の予約は今日と明日の二日間は入れてない。空けておくことにした。

 空けておいて良かった。今日は電話が多かった。クライアントからもあったし、その他営業の電話もかかってきた。何となくそんな風になるんだろうなあと予期していたので、空けておいて正解だった。それで、今日はかかってきた電話はすべて取ることができた。

 

 営業の電話というのは、主にIT関係のところだ。

 案の定と言うか、こういうご時世だからと言おうか、リモート通信の案件がいくつかあった。要するにオンラインでカウンセリングをするシステムの提案だ。当然、僕は却下する。プライバシーが守れない状況では一切カウンセリングはしないと決めているからである。

 オンラインの場合、クライアントは自宅でカウンセリングを受けることになる。家族がその場に、あるいは隣室などに、いることになる。個人的な打ち明けはできないだろうと思う。その他、来客や電話などで中断されることも顧慮しなければならない。カウンセリングの観点から言えば、オンラインカウンセリングはあまりメリットがない。

 それにこういう人もきっと現れるだろうと僕は予想している。親が同室か隣室にいる状況であえてカウンセリングを受けたがる子供が出てくるだろうと思う。カウンセリングの内容を間接的に親に聞かせるといったことをやらかすAC(アダルトチルドレン)者が現れるだろうと思う。そんなものに加担するのはお断りだ。

 AC者が一生をかけて、自分の人生のすべてをかけて取り組んでいることは何かというと、親の失敗の証明である。もちろん、こういうことは一般化するわけにはいかないんだけれど、こういう人が案外多いという印象を受けている。

 つまり、子供をダメにする親は、親として失格ということの証明になるわけであり、親の子育てが失敗したことの証明になるわけである。子供はそのことを証明するために自分の人生のすべてを棒に振る。人生で経験できるすべてを犠牲にしてまでそれをやるわけだ。当然、仕事もできない、結婚もできない、生きていけない、普通の人付き合いもできない、何もかも普通の人とは違う、子供は自分がそうなることによって、親の過ちを告発するわけだ。彼らはそれに必死だけれど、僕から見れば愚の骨頂である。

 尚且つ、不幸なことに、子供のそうした試みは上手く行かない。子供が無職で、結婚もできず、友達さえ作れなくても、親たちは世間近所のウケが良かったりする。いい夫婦とみなされていることもあるし、それなりに高い社会的地位についていることもある。子供はますます面白くないわけだ。そうしてますます復讐心を燃え立たせることになるようだが、彼らには理解できないのだ。子どもが評価する親と、他の人の評価とはまったく異なることが普通であることを。それで、子供は親を「外面がいいだけ」と評価するが、やはりこれも正しくないのである。家の内と外で顔を使い分けることは親としては必要なことなのである。だからと言って親を正当化するつもりもないのだけれど、こういう子供は人間が多様な顔を使い分けることが理解できないことも多いようであるし、彼らが人間関係で困難を感じるのもこれに関していることも少なくないように思う。

 

 話が脱線しまくったな。要は、オンラインだとカウンセリングの場面設定が管理できないわけであり、カウンセリング場面をどのように利用されるかも分からないので問題である。プライバシーの問題も含めて、何かと問題が多いと僕は考えている。

 また、オンラインだと好きな時につながるということもあるらしい。それも良し悪しである。つながりたい時につながらない場面を耐える経験も人間には必要である。自他の境界はそういう経験(もちろんそれ以外の経験も必要である)を通しても形成されると思う。

 オンラインカウンセリングに関して問題と感じている部分は他にもある。正直に言えば、オンラインカウンセリングなんて害しかないと考えているんだけれど、今日はこれくらいにしておこう。言い出したら尽きるところがなくなりそうだ。

 僕は従来通りのやり方を変えない。カウンセリングは面接室のみにおいて行うこと。子供のカウンセリングは親抜きで、親のカウンセリングは子供抜きで、また夫のカウンセリングは妻抜きで、妻のカウンセリングは夫抜きで、完全な個人カウンセリングをやっていくつもりである。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

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