5月7日(月):いい一日
今日は月曜日で、しかも連休明けだから、暇になるかと思っていたけれど、割と忙しい一日となった。特に午前から夕方にかけてが忙しかった。でも、忙しいのはいいことだ。新規のクライアントとも出会えたので、僕としては有意義な一日だった。
それに午後、Yさんも顔を出してくれた。わずか5分ほどだったけれど、会えて嬉しかった。Yさんもそうだけど、クライアントたちも、僕にとっては大切な人たちだと、最近は特に思うようになっている。彼らが僕という人間を形成してくれるから。
いい本とも出会えている。先日までシャルル・ノディエの「新炉辺夜話集」に熱中していた。繰り返し読んだ。そして、今日から新しい本に取り掛かろうと、ルソーの「孤独な散歩者の夢想」を読み始めている。まだ最後まで読んでいないけれど、とてもいい。よく考えたら、ノディエもルソーも名前だけは知っていたけれど、読まず嫌いだったなと思う。何でも実際に触れてみないと分からないものだね。
ちなみに、ノディエの本は400円で、ルソーの本はなんと80円で、古本屋で購入したものだ。安い買い物をしたと思っている。
それから今日は仕事の合間を縫って、このブログの公開作業もしていった。4月20日から公開していなかったので、さすがに溜めすぎだなと思いながら。でも、まだ追いついていない。5月1日分までしか公開できていない。残りは明日、公開していこう。
それとキーボードも弾いた。バッハのパルティータを相変わらずやっている。サラバンドから初めて、クーラントの前半を練習してきたけれど、今日はブルレスカやジーグ、アルマンドにも少し手を伸ばしてみた。何となく弾けそうだという手ごたえを感じた。もちろん、弾けそうだというだけで、上手に弾けるとは限らないのだけど、僕が自分のために演奏する分には何一つ問題はないことだ。
酒なんぞ呑むより、こちらの方が遥かにいいと思う。いい本を読み、日々の体験を文章にしていって、いろんなことを勉強して、音楽に親しみ、好きな人のことを考える。僕にとって、これほどの幸福はないと思うようになっている。
今日も酒は呑まずにいることができている。酒呑みというのは、愚痴っぽくて、実に下らないと僕は思っている。土曜日、つまり最後に呑んだ時だ、僕はつくづくイヤになったね。
仕事を終えて、喫茶店でコーヒーを飲みながら、この文章を書いている。こういうのが幸せだね。今日、もしYさんの仕事が早く終わるようだったら、喫茶店を覗いてみてと伝えておいた。時々、窓の外をチラチラ見る。Yさんが来るかもしれないと期待しながら。こうして期待して待つというのも楽しいものだ。もし会えなくても、それはそれで構わない。彼女の仕事はそれほど時間通りに終わるものではないから、それが僕にも分かっているから、Yさんが来れなくても仕方がないことだ。明日、また会えるのだからそれでいい。
ああ、今日はいい一日だった。そう思えることがなんと幸せなことかと思う。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)