5月4日(月):「派手な女性と親族の夢」
<夢>「派手な女性と親族の夢」
僕は一人の女性と会っていた。水商売系のいささか派手な感じの女性だった。面接をしていたのだと思う。
それから外に出て二人で夜道を歩く。道路を横断して、彼女は右方向に進み、僕は左方向に歩く。屋台のような飲み屋が並んでいて、賑やかだった。僕も仲間に入りたいという気持ちを起こしたけれど、僕には行く所があった。
夜道を歩いている。首輪をつけたサルを連れている女性とすれ違った。サルをペットにしているのかなと思った。
時間が遅いので急ぐ。一軒の店に着く。お好み焼き屋さんのような雰囲気だ。扉を開けると女将さんらしき女性が出てきて、もう閉店だと言った。中では宴会が開かれていた。そのうちの一人が僕を認めて、彼は僕を親類だと言ってくれた。女将さんもそれならということで僕を中に入れてくれた。
中には僕の家族や親戚の人たちが集まっていた。みんな少しも変わっていなかった。みんなは僕を受け入れ、僕に飲み物を振る舞ってくれた。
(連想と感想)
昨日、飲み屋の女性から電話が入っていた。僕は無視した。今は遠ざけたいと思っている。水商売系の派手な感じの女性は、僕と縁が深かった人たちだ。かつて僕が交際した女性の中にはキャバ嬢とか風俗嬢もいた。そういう女性たちと親和性があったのだと思う。
そういう女性と一緒に歩いている。道路を横断するということは向こう岸に渡るということだから、別世界、別次元に移るということを思わせる。そこで彼女と別れる。彼女は右に、僕は左に行く。右は意識野で左は無意識野と言われる。それに照らし合わせてみれば、僕は無意識の方向に向かおうとしているのだろう。その女性は意識の方向へ遠ざかる。意識的に遠ざけているということになるのかもしれない。
サルをペットにしている人が出てくる。このサルはそういう女性たちだ。昔、芸をするサルをテレビで見た時、彼女たちを連想したのを覚えている。人前に立って、芸をして、儲けはサルに芸を仕込んだ人たちに入る。彼女たちも自分を前面に出して、自分たちを売り出しているけれど、儲けているのは裏の人たちだと、そんなふうに思っていたからだ。
夢の中で、派手な女性と別れて、尚且つサルを連れた女性ともすれ違う。僕はそこに立ち止まらない。
時間が遅くなっている。どこか、手遅れになりそうとか、取り返しがつかなくなるというような緊迫感を連想する。
ギリギリのところで僕は間に合う。何に間に合ったのか。家族、親族が集まっている場である。彼らは昔と少しも変わらない。この昔というのは僕が十代の頃のことで、当時僕に見えていた彼らの姿そのままだった。つまり、夢の中で、僕は十代の頃の家族・親族に受け入れられているということになる。
無意識層には、個人的無意識と集合的無意識との間に「家族無意識」があるとレオポルト・ゾンディは言うのだが、僕はその家族無意識に同一化しようとしているのだろう。それも僕が十代の頃の家族無意識に。
この家族無意識の中に、僕がはっきり覚えているのは、女性観に関するものだ。水商売とか風俗とかで働く女性はみな派手であり、そういう派手な女性とは付き合ってはいけないというものだった。直接それに近いことが口に出されることもあれば、空気とか雰囲気でそれが感じられることもあった。当時の僕はひどい女性差別だと感じたのを覚えている。
二十代の頃にキャバ嬢や風俗嬢とお付き合いしたのも、そうした家族無意識に抵抗しようとしていたのかもしれない。
しかし、家族無意識というか、僕の家族や親族間で流れる空気とか風潮、思想、価値観などの中には、不健全なものばかりとも言えない。それ以外の部分もたくさんある。夢は、十代の頃に反発したところからもう一度自分の家族無意識を同化することを教えてくれているように思う。それを親族が振る舞う飲み物を僕が呑みこむという形で示されたのだと思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(追記)
仕事から家族へ、二人から独りを経て集団へといった流れも読み取れる夢だ。舞台がすべて夜であるということも、僕の中で眠っているものを指しているのかもしれない。
(平成29年6月)