5月31日(水):執筆意欲
5月も今日で終わり。この一ヶ月、僕は自分の人生をきちんと前に進めただろうか。ある部分では前進したと思う。書籍のことや足のリハビリなどはそれなりに進展している。でも、他の部分では停滞したままだ。このサイトだってそうだ。
今日は朝の一枠目に空きが生じていた。出勤前に銀行や薬局を回る。今日は家賃を払う日なので準備しておく。
職場に入ると、留守電のランプが点滅している。新規の人だ。しまった、朝の内に電話が入ったのかと思ったが、どうやら昨日のことのようだ。定休日に電話をかけてもしょうがないのに、どういうつもりなんだろう。こちらから電話しようかとも思ったが、もういいや、向こうからかかってくるのを待とう。
面接をこなす。変更やキャンセルもなく、皆、きちんと来てくれる。嬉しい限りだ。
それ以外の時間はすべて執筆に充てる。以前に書いたいくつかの断片を本体に埋め込む作業をする。常日頃から書いて残しておくことの重要性を再認識する。かなり手間が省ける。
ライヒ『衝動的人格』、フィルー『パーソナリティ』読み終える。ライヒは面白かった。読み終えて、再読に入る。フィルーの方は悪くはなかったが、幾分、文章が難ありだ。
夕方頃から雨が降る。雨は憂鬱である。膝の具合が悪くなるかもしれないからだ。でも、今日は特に影響はなかった。
夜。いつもより少し遅めに退室する。昨日の留守電の人からの電話がかかるかもしれないからだ。でも、連絡はなかったようだ。
その後、ビールを飲みに行く。いい加減、クタクタだった。いつもの飲み屋に行く。ああ、いつもの騒音オヤジどもがおる。疲れている時に一番会いたくない人種だ。
あれやこれやと、面白くもない話、オチもなんもあらへんような話を延々と続けている。お喋りどころか、ただの騒音でしかない。それだけ言いたいことがあるなら、本にするなり、ブログにするなりすればいいのだ。きちんとした意見として昇華していけばいいのだ。ところが、そういう手間やリスクは負おうとしないで、周囲にお構いなしの、その場限りのお喋りを延々と続ける。僕は卑怯者だと思うね。
だから、ああいうオヤジたちを見ていると、僕は執筆意欲が湧いてくるのだ。ある意味で、彼らを反面教師にしているところもある。彼らと同じことはしたくないという気持ちが生まれるのだ。
その後、帰宅する。今日はハシゴはしなかった。一軒目で終了だ。ビールを二本飲んだだけだ。アル中の定義に引っかからない分量だ。
雨は降っていたが、いつものように一駅分歩く。膝具合も懸念していたほどではなく、どちらかというと順調だった。
今日も一日、いろいろあった。悪い一日ではなかった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)