5月3日:ジャズはアレンジ 

5月3日(日):ジャズはアレンジ 

 

 昨日に引き続き、職場の模様替えをやりに来ている。七面倒くさいジャズストに巻き込まれないように、早めに家を出た。 

 

 職場は足の踏み場もない状態だった。それを片付け、とにかく、「移動系」作業だけは終わらせた。後、「処分系」作業と「清掃系」作業は、一部はこなしているものの、明日以降にまわすことにする。予定よりも捗った。 

 

 夕方、タバコを買いに外に出る。嫌な感じの人混み具合だ。でも、一時期に比べたら人の数は減っているようにも感じる。いい加減、このイベントも終わりにしたらいいと思うのだ。 

 大して上手いとも思えないミュージシャンたちがあっちゃこっちゃで演奏するけど、騒音以外の何物でもない。 

 

 ジャズと謳っていながら、けっこうそれ以外のジャンルの曲が聞こえてくる。「天城越え」とか「川の流れのように」といった演歌から、クリスタル・キングの歌謡曲から、「シェリーに口づけ」といった洋楽ポップスまで、いろんな曲が聞こえてきた。 

 何が良くないのかと言うと、アレンジなのだ。演歌を演奏してもいいのだけれど、原曲とかけ離れるくらいの大胆なアレンジをすると面白くなるのに。演歌の曲を演歌調に演奏したのでは、なんの芸もないというものだ。 

 ジャズはアドリブ、即興のソロが命だと勘違いしている人が多いけれど、本当にいいジャズはアレンジがしっかりしているのだ。ベニー・グッドマンやカウント・ベイシー辺りのバンドは専属のアレンジャーを抱えていたけれど、アレンジがいかに大事かということを知っていたからだと僕は思う。スタン・ケントン楽団やウディ・ハーマン楽団もいいアレンジをしていたなと思い出す。 

 モダンジャズになってからも、何気なく聞いていると気づかないかもしれないが、名演奏にはきめ細かなアレンジが施されたりしているものだ。テーマを演奏して各人がソロを展開し、テーマが再演されるというような構成であっても、その中でクライマックスが用意されていたり、ビシッと決まる箇所が挿入されていたりして、いい演奏は飽きさせないものだ。あるいは、ホレス・シルバーのように、作曲の段階でそうしたクライマックスを準備しているパターンもある。 

前衛ジャズ、フリー・ジャズ、フュージョンの時代に入ると、アレンジはますます重要になる。やっぱり、ソロではなく、アレンジこそジャズの命なのだ。 

 いずれにしても、どうもジャズスト出演のバンドはその辺りが欠けている感じがする。彼らはプロじゃないからと言われたらそれまでの話だが。でも、だから一時間も聞いていられないのだ。 

 

 明日もこれを聞かされるのかと思うと、ウンザリする。今日は予想以上に捗ったから、明日は休もうかなと、そんなことも考えている。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

(追記) 

 ジャズはアレンジが命。この信念はずっと持ち続けている。どうも僕は音楽を聴く時に、一般の人とは違った部分を聴いているようだ。 

(平成29年6月) 

 

 

 

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