5月29日:嘔吐 

5月29日:嘔吐 

 

 僕の飲み友達の一人が6月から埼玉に転勤が決まった。昨夜は彼の送別会があった。彼は、どこかホモっ気があって、時々僕の股間に手を伸ばしてくるけど、いい奴だ。そういういい奴に限って、転勤とか引っ越しとかでいなくなってしまうのだ。 

 ちなみに、彼とは肉体関係はない。彼にとってはあいにくなことに、僕にはその趣味がない。 

 まあ、それはそれとして、昨夜は愉しいひと時を過ごさせてもらった。思わず終電に乗り遅れそうになるくらいまで、時間を忘れて楽しんだ。 

 帰路、電車を降りて、駅から家に向かう。夜道を一人歩いていると、たまらない孤独感が襲ってきた。胸が苦しくなり、僕はうずくまって、道端で嘔吐した。酒を呑んで吐くなんてことは、もうこの数年来なかったことだ。僕は自分に驚いた。 

 今朝、起きた時はもう何ともなく、いつものような朝を迎えた。もし、あの嘔吐が純粋に酒のためだとすれば、必ず今朝はアルコールが残っていただろうし、二日酔いを体験していただろう。でも、まったくそんなことはなかった。夜が遅かったのでいささか寝不足気味だけれど、朝食はしっかり食べることができたし、身体の状態も悪くはなかった。 

今日は金曜日で一応休みの日だ。予定していたことがあったけれど、変更することにして、昼から高槻に出る。職場に着いて、これを書いている。職場に来ている、特に何をしようという気分にもならない。留守番電話に要件吹き込まれている。また電話すると言っているので、気長に待つことにしよう。 

 さて、僕は昨夜のことを振り返ってみた。昨日は確かに忙しかった。今週は昨日の木曜日と明日の土曜日にいささかクライアントが集中している。昨日の顔ぶれを見ると、本当に孤独な人たちが続けて来られたなと思う。僕はいつしか彼らの孤独を取り入れてしまっていたのだと思う。もちろん、僕自身がそれ以前に体験していた孤独感もそこにはあると思う。 

 本当なら、この孤独感はもっと早い段階で気づかれるべきだったのだろう。送別会で紛れてしまって、そして楽しいひと時があったからこそ一層、この孤独感が後から急激に襲ってきたのだろうと思う。僕は嘔吐する。もうこれ以上受け入れることができないというサインだと思う。僕は自分の抱えることのできる限界以上のものを、昨日は抱え込んだかもしれないと、そんな風にも思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

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