5月27日(水):唯我独断的書評~『日本の弓術』
~『日本の弓術』(オイゲン・ヘリゲル著)岩波文庫
僕は弓道をやったことがないし、弓に触ったこともない。でも、『日本の弓術』だけは繰り返し読んでいる。折に触れて読みたくなる本の一冊だ。少なくとも4,5回は読んでいるように思う。100ページ程度の小著だが、内容は深い。読むたびに新たな学びがある。
この文庫版では、ヘリゲルの文章に、当時通訳を務めた人の文章が添えられている。両者を併せ読むと、いろいろ見えてくるところや理解が深まるところがあるので、両方とも読むことをお勧めする。
ヘリゲルという人は、大正時代に東北帝国大学の講師として日本に来たドイツ人である。日本の精神を学びたいために、大正15年に弓道を始めた。その時の師匠が阿波(あわ)先生だった。
本書の第1章では、日本人の生活に仏教、禅がいかに密接に関係しているかと説き、第2章でヘリゲルが阿波師匠に師事して免状をいただくまでのいきさつが語られる。第3章は、ヘリゲルが学んだことの哲学的な考察となっている。
第3章は、人によってはやや難解と感じられるかもしれないけど、本書のメインはやはり第2章にある。阿波師匠が素晴らしい。
この師匠、基本的なことを教え、この基本に関しては幾度となく弟子に忠告するが、だからと言って事細かに口を挟むという感じではないようだ。しかし、弟子が行き詰ったり、疑問を呈した時には、的確にかつ懇切丁寧に説いて聞かせる。そういう先生であるような印象を受ける。
ヘリゲルは師匠の教えに、あるいは日本人の底流にある仏教・禅思想に戸惑いながらも、なんとかそれを習得していこうと努力する。その姿は感動的でさえある。ここには、日本の思想を超えて、外国人が日本人化していく過程を見る思いがする。今現代の日本人こそ、こうした日本人化をしていかなければならないのではないかと、僕はそう思うことがある。だから、この本はもっと読まれるべきだとも思ってしまうのだ。
ヘリゲルは自身の体験から、こう語る。「射手の自分自身との対決とは、射手が自分自身を的にしてしかも自分自身を的にするのではなく、すなわち時には自分自身を射中ててしかも自分自身を射中てるのではないということであり」、それは「不動の中心となること」にかかっているという。従って、弓道は「徹頭徹尾、精神的な経過」であると考えている。これを達成するためには、内心の抵抗の克服が必要だったと述べ、その抵抗とは西洋的な批判精神であったと述べている。
ヘリゲル教授にそれを伝授し、体得させていったのは、先述の阿波師匠であるが、この師匠の言うことの一つ一つがとても素晴らしい。「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない」とか、厳しい中にも真理があり、突き放すようでありながら悟りでつながろうとしているようであり、なんとも魅力的だ。この師匠の名言集や言行録があれば、僕はぜひ読みたいと思う。
下手な論評はこれくらいにして、これは実際に手にして読んでもらう方が、僕があれこれ言うよりも絶対良いに決まっている。
最後に、本書の評価だけど、これは5つ星間違いなしだ。「絶対読むべし」を進呈しよう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)