5月20日(土):真実は一つ?
夜。日付も変わって、正確に言うと、今は21日の午前3時。すごく眠たかったのに、寝ようとすると目が冴えてどうにもならない。眠れない。どうやら、ここで一日を終えてはいけないというサインなんだな。やり残していることをやれというサインなんだな。
それで、ブログを書いておこうと思い立つ。
今週はヒマ週ということもあって、書くほうに時間を割いている。昨日はブログの更新もした。抜け落ちていた分も含めて10本ほど公開した。
今日は書籍の方に取り組んだ。概要を一応書き上げた。まだ、いくつか漏れがあるが、明日、それらを書き足して、一冊分の概要を仕上げて、出版社さんに見てもらおうと考えている。
日課の外歩きも欠かしていない。日光浴とウオーキングを兼ねて外を歩く。今日は夕方にその時間が取れた。
土曜日だけ営業している古書店も覗いてみた。お目当ての本が確か売ってあったはずだ。確かにあった。今度買おう。今日は買わない。来週か、再来週にでも買おう。それまでに読みさしの本は読み上げてしまおう。新たに買うのはそれからだ。
その後、一件の仕事をこなす。電話が鳴るが出られない。留守電を聞いてみると、新規の人のようだが、声が不明瞭だ。多分、スマフォで掛けているんだろう。
帰宅。家でも続きを書こうかと思っていたが、もう、いい加減、目が疲れてきた。映画を一本観て、それで一日を終えることにした。
古書店のおばちゃんが哲学の話をしてきた。僕がその種の本をよく買うからだろう。おばちゃんは哲学にたくさんの派閥があるということが信じられないと言う。
僕は説明する。一人の思想に追随して一派を形成しても、それに反対する一派が生まれ、反対する一派からさらに反対派が生まれるものだということを。
すると、おばちゃん、それが不思議だと言う。真実って一つじゃないの、だって。おばちゃんは名探偵コナンか。
真実はいくつもあるものだ。仮に一つしかなかったとしても、その、紛れもないたった一つの真実ですら人間は知らないのだ。何が一つの真実であるかということでさえ、意見は一致しないのだ。人間は自分たちが思っている以上に無知なのである。
もし、たった一つの真実があるとすれば、もしくはたった一つの真実の問いがあるとすれば、それは「私の人生は生きるに値するか」という問い、カミュが提示した問いであるが、になるだろうと僕は思う。私は存在するに値するか、私の生は生きる値打ちがあるか、それ以上の問いはないだろうし、そうした類の問いだけが真実であると僕は考える。
古書店のおばちゃんは、また、こんな話もしていたな。今は本が売れないけれど、10年後には紙の本が売れるようになると。つまり、リバイバルするということだ。おばちゃんが何かの本から仕入れた情報であるらしい。
一度生活に浸透したものは、必ずリバイバルブームが来るものだ。レコードが最近は売れているとも聞いている。MDがリバイバルしないのは、それが人々の生活に十分浸透しなかったからだろう。
それを言えば、VHSのビデオテープも不滅である。近頃、懐かしさもあってか、脚光を浴びているというようなことも聞いたことがある。LD(レーザーディスク)がそうならないのは、やはり同様に、それが十分浸透していなかったためだろう。
本音を言えば、僕はカセットテープを使用したいと今でも思っているのだ。面接をテープ録音する。テープの方がその後の仕事がやりやすいのである。おまけに、ICレコーダーのように、それを一旦パソコンに入れるといった作業も不要だ。ただ、テープは場所を取るし、レコーダーも壊れたりするし、上手く録音できないこともあったりと、不便なところもある。懐かしさだけの感情で流されると、そうした不便な一面を忘れてしまうかもしれないな。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)