5月20日:書架より~『イノック・アーデン』
本作はテニスンの代表的な作品で、発表当初からたいへんな好評で迎えられたそうだ。内容は確かに面白いし、原文はおそらく洗練された詩的な文章になっているのだろうと思う。
ところで、テニスンという作家であるが、僕はあまりいい印象を持ってはいなかった。どうも『禅と精神分析』の中で、鈴木大拙が松尾芭蕉の俳句とテニスンの詩とを比較して、洋の東西の差異を指摘していることに原因があるようだ。僕の中では、テニスンは典型的な西洋人というイメージが出来上がってしまっていたようだ。
さて、本作であるが、これはイノック・アーデンとアニイ、フィリップの三人を巡る物語である。
三人は幼馴染であるが、イノックとアニイがまず結婚する。二人の子供が生まれて、幸福な生活を送っている。三人目が生まれる頃、イノックが怪我をして仕事ができなくなる。生活が傾き始める。イノックは自分の船を売り、その金で妻に商売を始めさせ、彼自身は遠洋の貿易船に乗り込む。
残されたアニイは、商売に不慣れであるために経営できず、さらに三男が病死するという不幸を経験する。生活はますます困窮していく。
そんな折、それを見かねたフィリップが援助の手を差し伸べる。10年を経てもイノックは帰らず、フィリップはアニイの生活に浸透していく。彼はアニイに結婚を申し込み、一年後に結婚する。
一方、イノックの方は乗り込んだ船が難破し、無人島にて生き延びていたのだが、通りかかった船に救出され、故郷へ戻ってくる。
故郷に戻った時、イノックは自分がすでに死んでいると見做されていることを知る。そして、愛妻アニイとフィリップの幸福な生活を目の当たりにしてしまう。故郷にはすでに彼の生きる場はなく、妻は彼無しの生活で幸福になっている。
本作は情景描写がとても豊かで、イメージに富んでいると感じた。そして、英雄神話のパターン(O・ランク)を継承している点で、一人の英雄の物語として捉えることができる。
イノックはまず自分が獲得したもののために生きる。後の半生は自分が失ったもののために生きたと、僕は解釈している。人間が苦境をどのように生き抜くかについて教えられるところも多いと僕は感じた。
それはキリスト教が取り組んでいるテーマとも重なるもので、本書では随所で聖書からの引用や隠喩が用いられている。
そして、イノックが死に、生きることのなかった三男と天国で結ばれるというのも感動的ではないか。この病死した三男が物語の最後になって重要な役割を担っていると分かる、なかなかよくできた構成だと思う。
<テキスト>
『イノック・アーデン』テニスン著 岩波文庫
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)