5月2日(土):「店で働く夢」
<夢>「店で働く夢」
多分、夜だったと思う。僕は仕事をしに店に行こうとしていた。僕と交代の人とすれ違った。その人は、今、店ではマネージャーが働いていると言う。別に遅刻はしていないはずなのに、変だなと僕は思う。
店に着く。コンビニとかスーパーといった感じの店だ。いろんな作業が中途で投げ出してある上に、マネージャーらしき人もおらず、まったく無人の状態だった。僕はあわてて、状況を把握しようと思ったけれど、すぐに客が入ってくる。客が注文すると、ショーケースに電源が入っていなくて、僕は詫びた。陳列されないままの入荷品が通路に置いてある。どうなってんだといささか憤る。
途中から、友達のYさんが一緒に働いている。僕は彼女にレジを任せて、投げっぱなしになっている作業にかかろうとする。
場面が変わって、今度は学校のような場所だった。卒業のための個人ガイダンスみたいなのがあって、僕は自分の順番が来るのを待っている。部屋には一人ずつしか入れないのだけど、次の人は部屋の前の廊下にて待っていなければならない。見ていると、出席番号が僕の一つ前のT君がそこで待っている。その次が僕の番だと思い、彼が入室した後、そこで待つ。
しばらくして、彼が出て行き、入れ違いに僕が部屋に入る。一対一の面接だと思ったら、生徒は僕一人で、数人の先生が並んでいた。半端じゃない威圧感があった。随分大仰なガイダンスだなと、僕は思った。
(連想と感想)
コンビニで買い物をして、僕がバイトしていた頃のことを思い出す。最近、そういうことが多い。
夢では、僕の仕事のやり方がよく表されているように感じた。他の人は仕事をしたと言っても、僕には何もかもが中途作業のように見えてしまうのだ。そして、僕自身が納得のいくように仕事を処理しないと我慢がならないのだ。
一緒に働いているのがなぜかYさんだった。先日、Yさんから連絡があって、近いうちに会うことになるだろうけれど、どこかYさんのことで心配している僕がいる。いっそのこと同じ職場で、指導してあげたいという気持ちが、どこか夢でも現れたのだろう。
次はガイダンスの場面だ。どういうつながりでその場面になったのかは思い出せない。出席番号が僕より一つ前のT君がいた。彼は中学時代のクラスメートだ。彼の次に僕が続く。そして、何人もの先生の視線にさらされるということになる。
Yさんは仕事のことで今悩んでいるのだ。また、T君とは20歳ころに再会したのだけれど、彼はアルコールの問題を抱えていた。仕事のことにしろ、アルコールのことにしろ、僕は自分の思い上がりを訂正しないといけないのだと思った。
数人の先生が僕を見るわけだが、それは僕が僕自身を見ている数倍の視点、数倍の目の数が必要であり、それも厳しい威圧するような目で自分を見なければならないことなのかと思う。YさんやT君のことを考えるよりも、もっと厳しく自分自身を見るべきだと、夢はそれを教えてくれているのかもしれない。
そして、それは卒業前の作業であり、卒業するために経なければならない儀式なのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(追記)
夢シリーズだ。仕事をするという場面もよく出てくる。僕の夢解釈が正しいかどうかよりも、自分の夢についてあれこれ連想や考えを巡らせてみるというところに価値がある。
(平成29年6月)