5月17日(火):作家さんのような一日
昨夜はクタクタで、早い時間にいつの間にか寝ていた。今朝、4時頃に起きた。起きて、そのままサイトの原稿を書いて過ごす。昨夜、やろうと思っていながら、寝てしまったから、何も手つかずの状態だった。そこで2節ほど仕上げる。
8時ごろ、高槻に着いた。そのまま、原稿の続きを書く。今日は定休日なのだけど、サイトのことで業者に訊くことがあった。どうも、サイトの更新に不具合がある。システム上の原因か、僕のパソコンの原因か、はっきりさせたいと思った。そして、今日中に処理できることならしてしまおうと思った。そのため、早めに業者に連絡しようと考えていた。
担当の業者さんに連絡がつく。彼でもよくわからないと言う。僕の案件は技術部門に回すということで、返事に数日かかるということだった。
できることなら今日中に処理しようと思って、その時間を見繕って早めに出てきたのだけど、どうやらその甲斐はなくなったようだ。
そのまま原稿を書き続ける。
先日、日曜日に散歩したのを契機に、足のリハビリも兼ねて、毎日、短時間でも歩こうと決めた。あいにく、昨日は雨だったので中止したのだが、今日は必ず歩こうと決めていた。
午後から、歩きに出る。どこに行こうかで迷うが、結局、城跡公園をぐるぐる回ることにした。
平地はかなり普通に歩けるようになった。膝も曲げられるようになったけど、力が入る場面では痛みが感じられる。階段はやっぱり無理だと思った。しばらくは平地で普通に歩くということを続けよう。できれば、適度な勾配があるといいのだが、いいコースが今のところ思い描けない。
職場に戻る。今日の分を公開しておく。第1章第3節をアップする。更新時に、多少のトラブルは発生したけど、どうにか公開できた。
その後、休憩しながら、再度、原稿書きに精を出す。今日だけで7節分仕上げた。A4用紙に換算して25枚程度の分量を書き上げた。これを公開までに校正し、手直しをする。まるで作家さんのような一日だ。そんな気分になると、ふと思い出したことがあった。
こうして書いている時とか、何気なく、ふと思い出すことがある。「そう言えば、どこかでこういうのを読んだことがあるぞ」と思い出すのだ。思い出すけど、それが何で、どこで読んだのかがはっきりしないと、モヤモヤが生まれる。実は、ここ数日、この種のモヤモヤを抱えていたけど、今日、それが判明した。それは私小説作家の上林暁の私小説観だった。
私小説というのは、作家の個人的体験を綴るといった文学形式であり、昭和の戦前戦後の頃にはよく書かれていたものである。
上林暁の私小説観を少し引用してみよう。
「私小説作家の多くは、自分を魅力的であると考えるどころか、むしろ逆に、自分を愚かな人間とするところから、その文学を出発させている。そこから自己嘲笑、自己蔑視、自己虐待、自己否定の文学を生み、果ては太宰治のように走る作家さえ出たのである」
「(略)私小説の起こりは遺書を書くのと同じ気持ちから書き始めたものだった。(略)生活的にも肉体的にも行き詰まり、自分はもはや長く生きながらえることが出来ないのではないかと思うような状態に立ち至った際、自分の生活を書き残しておこうと発心したのが、その書き始めであった。だから、自然発生的だった。(略)ただもう、自己をぶちまけたいという、止むに止まれぬ心奧からの要求だけが、真の小説を書かせるのである。私小説の書き方に秘密があるとするなら、この、自分のことを書かざるを得ない気持ち、この気持ちだけである。(略)私小説家にしてみれば、自分が身辺日常生活で掴んだものが何物にも代え難く美しく真実に見えればこそ、飽くことを知らず、日常生活に即して書くのである。その意味では、私小説家は他人の思惑のために書くのではなく、自分のために書くのだと言えよう」
いい文章だなあ。上林氏はそれを小説にまで昇華したけれど、僕はせいぜいこのブログ程度だ。でも、その気持ちは僕にもわかるような気がする。氏と同じではなくても、似たような気持に襲われることが僕にもある。
僕にも自分のことを書いて残したいという気持ちに襲われることがある。他の人にとっては、このブログや僕のサイトは何の価値もないだろうけど、僕にはとても意味のある活動なのだ。
モヤモヤの一つが解消した。夜は本を読んで過ごす。アダム・シャフというポーランドの哲学者の書いた『人間の哲学』を読む。この本は、それまで読まず嫌いだった。理由の一つは当時のポーランドの状況に僕が不案内だったからだ。でも、その部分をそのままにして読み進めていくと、けっこうスラスラと読める。第1部は一気に読み通した。案外、いい本なのかもしれないと思い始めている。
こうして今日も一日を無事に終われそうだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)