5月12日(金):カジノでギャンブル依存は増えず
今日はそれほど忙しくないが、予定のはっきりしない人が一件ある。来れるかどうか、当日にならないと分からないという人だ。こういう人はまず来ないのだけど、取りあえず連絡を待つ。昼前に連絡があり、案の定、来れないということだった。
職場にパスタが一食分残っていた。いい加減、これを食べて、処理してしまいたいのだが、その人が来るようであれば、作っている暇はない。予定が決まらんと昼飯に何を食うかさえ決められない。そういうのが一番困る。
昼から、原稿を書く。これは書籍の方ではなく、ブログの方だ。今日は、これを含めて4本書いた。
それから30分ほど外を歩く。これは昨日から始めたことで、当分は歩行練習も兼ねて、太陽を浴びようと思う。空き時間があれば、30分程度歩こうと決めている。振り返ると、昔は一日一時間、どこかの時間帯で歩くということをしていた。仕事が増えていくに従って、その習慣はうやむやになってしまったのだった。無理をしてでも継続しておくべきだったと、今さらながら後悔する。
帰る前に、何か本を持って帰ろうと思う。西丸四方『狂気の価値』を選ぶ。昔、90何年かに読んだきりだ。職場を後にする前に、少しだけ紐解いてみたところ、面白くて止まらなくなった。
急遽、喫茶店に入り、続きを読む。2時間ほど読む。夜の10時、外は雨が降っているようだ。本当はもう1時間読みたかったが、雨がきつくなると厄介だと思い、そこで一旦中断して帰宅する。あと40ページほどで読み終わるのに、ああ、中途半端な感じだ。
帰宅する。雨は降っていたけど、それほどひどくは濡れなかった。
夕食は食べる気がせず。まっすぐ自室に入って、昨日同様、マカロニウエスタンを観る。今日は『必殺の用心棒』の方を観る。映画はまあまあ面白かった。
しかし、今号の冊子の方は誤表記と思われる箇所がいくつもある。特に『必殺の用心棒』のページだ。マヌエル・ムニスが脇役で出演していたのは、『続。荒野の用心棒』ではなく、『続、荒野の1ドル銀貨』だったはず。これは明らかに誤表記だ。1970年に死去したソルダード・ミランダに1973年の出演作があったり(これは生前に撮影して、死後に公開されたという可能性もある)する。エルノ・クリサの生年もおかしい。1941年生まれで1942年に映画デビューって、ホンマかな。その生年だったら、本作は25歳ということになるけど、そうは見えんし、表記の間違いじゃないかと思う。
『キングと呼ばれた男』の方でも、紛らわしい文章があったりする。どうも出版側の気が抜けてきたのじゃないかとも思ってしまう。
あと、今日のことで何か書き残しておくことはなかったかな。
そうそう、カジノができれば僕の仕事が増えるでしょうと言った人がいたな。ギャンブル依存者が増えるので、僕の仕事も増えるでしょうという意味らしい。僕はそんなことはないだろうと答えておいた。
あんなカジノなんて、外国の観光客をターゲットにしているだけだ。そもそも、バカラのルールを知ってる人がどれだけいるだろう、ルーレットの賭け方をみんなは知っているだろうか、ポーカーやブラックジャックにどれだけの人が馴染んでいるだろう。恐らく、日本人はカジノをそれほど利用しないと僕は思う。特に関西人なんて、あんなものガマンがならんのじゃないか。
パチンコでさえ、廃業するところが続出しているのに。他所はどうか知らないけど、高槻ではけっこう閉店したパチンコ店がある。営業しているところでも、客といえば高齢者ばかりだというのを聞いたことがある。要は、ギャンブル人口が減っているはずなのである。若い人はそういう遊びをしなくなっているのだと思う。
それもそうだ。昔はパチンコと言えば暇つぶしとか遊興の代表格だった。今では、ケータイゲームとか、あんなんの方に若い人は夢中だ。今にパチンコなんて誰もやらなくなる時代がくるかもしれない。
カジノもそうである。確かに、最初はみんな面白がって、見学がてら、足を運ぶかもしれない。でも、結局、ケータイゲームやってる方がましだということになれば、いずれ足が遠のいていくだろう。運営側が他の何かで集客するなら別だけど、それでもカジノで遊ぼうという発想は根付かないんじゃないかと僕は思う。
世間で言っているほど、カジノのためにギャンブル依存者が増えるとは、僕は思っていないのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)