5月1日(火):五月は四月以上に残酷な月
「四月はもっとも残酷な月」(『荒地』)。エリオットにとって、では、五月はどんな月だと言うだろうか。僕は最悪な気分で五月を迎えた・
先週、僕は酒を解禁した。ガマンすることに意味がないように思われてきたのだ。それに、飲酒欲求と戦うことに疲れたという感じもある。でも、酒をそんなに飲みたいのかと言われると、そうでもないという感じがある。ただ、以前がどんなだったかを思い出したくなっているのかもしれない。
それで昨夜は解禁4日目で、酒を呑んだ。呑んだのはいいけれど終電に乗り損ねたのだ。そういう時、僕はジタバタせずに高槻で一夜を過ごそうということに決めている。それで、一晩中、ゴーストタウンのように静まり返った高槻の街を練り歩いた。
冒頭にT・S・エリオットの詩を掲げたのも、深夜の高槻の町の雰囲気が『荒地』を僕に連想させたからだ。無性に『荒地』を思い出したものだ。
酒を解禁した時、僕は以前の行きつけの店を徐々に回って行こうと考えた。事実、それを始めている。でも、僕はそこで何を発見しただろうか。かつて知っていた人が今はいないということだけだ。
約一年半のブランクだ。店によっては二年以上ご無沙汰の所もある。当時、よく行っていた店がなくなっていたりとか、店はそのまま存続しているけれど、中の人間が総入れ替えしているとか、そういうものばかり発見するのだ。
例えば、仲の良かったあるバーテンダーは博打に手を染めて、解雇されたと聞いた。飲み友達のY君とよく行っていた居酒屋は、店長が三人も入れ替わり、従業員も一人を除いては皆辞めてしまった。ほぼ無職で呑み屋に入り浸っていた知人も、職に就いて結婚して、どこかへ行ってしまったらしい。そんな話ばかりである。
昨夜は夜の八時頃呑み初めて、十二時頃には呑み終えていた。それ以上は呑めない。何軒か梯子をしたけれど、先ほどのようなことばかり聞かされる。祝日だったので、電車が平日よりも早く終わるということをすっかり忘れていて、それでいつもの感覚でいたら、終電を逃してしまったのだ。それからブラブラする。一軒、やはり馴染みのあったバーに入るも、酒はもう入らなかった。コーラを飲んで、店の人と会話する。その店も、いろんな変化があったようだ。
結局、三時頃にはいつもの喫茶店に入って、コーヒーを飲む。一時間半ほど本を読んで過ごす。それから少し何か食べようと思い、24時間営業の店に入る。独りでうどんを啜る。
うどんを啜っていると、そこに何と飲み友達のY君が入ってきたのだ。彼は相変わらず呑み続けているようだ。彼だけは不変の感じが僕はしたね。そのY君も、高槻ではほとんど飲まなくなったと言う。やはり知り合いがいなくなってきたからであるようだ。
わずか一年半とか二年とかいうブランクなのだけど、それだけでも僕はちょっとした浦島太郎気分を体験するのだ。今後、どうするかって? やっぱり、酒は呑まないにかぎると、気持ちを新たにしただけだった。呑んだ方が余計に孤独感を覚えただけだったし、ほとんど楽しめなかった。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)