4月9日:何を選んだのか 

4月9日(日):何を選んだのか 

 

 ヒザが痛い。歩行にも支障がある。それでも今日は高槻に出なければならない。足を引きずりながら家を出る。 

 加えて、今日は選挙だ。僕の住む京都の市議・府議選挙だ。選挙会場はかつて僕が通っていた中学校だ。 

 家を出て、道中、中学校は左折し、駅へ行くには右折する。そこに至るまでのルートは同じだ。いつもの感覚で歩いていると、ウッカリ右折してしまった。駅へ行く習慣がついているためだ。 

 中学校へ行くとなれば、来た道を戻らなければならない。足の問題がなければなんてことないんだけれど、足を引きずりながら歩かなければならないので、戻るのが億劫になってくる。どうしようかと迷う。選挙を放棄しようかとも思った。 

 面倒だけれど、折り返して中学校へと向かうことにした。義務だけは果たしておこうと思うからだ。 

 中学校の門をくぐる。もう母校という感じがしない。かつてここに通っていたという確かな感じがしない。懐かしいとか思うこともない。 

 会場に入る。投票用紙を受け取り、候補者を記入する。正直言って、誰が誰だか分からない。何人もの候補者が選挙活動されていたのは知っていたけれど、今回、僕はそれをみる余裕がなかった。誰が立候補しているのか全然知らない。 

 とにかく、政党で選んだ。あと、男性よりも女性を選ぼうとは漠然とながら考えていた。 

 しかし、ふと、思う。僕は一体何を選んでいるのだろうか、と。人を選んでいるのか、党を選んでいるのか、あるいは、公約を選んでいるのか、主義を選んでいるのか、思想を選んでいるのか。何度も選挙はしてきたけれど、僕は僕のしていることを本当には知らないのではないか。そんな思いに駆られる。 

 この疑問をもっと突き詰めて考えたい誘惑に駆られるが、それよりも、早く高槻に行かないと遅れてしまう。僕は僕の疑問をいったん棚上げして、駅へ向かう。 

 

 高槻にて、今日の予定をこなす。その後は、いたすら室内清掃をする。不要になった資料等もシュレダーにかける。夜にはごみを捨てる。ここ数日でゴミ袋4つが満杯になった。曲がらないヒザで階段を下りて、どうにかゴミ捨てを終える。 

 鎮痛剤がそれなりに効いているのが分かる。平地ではさほど問題なく歩ける。それでも階段とか傾斜では不具合がある。ヒザが曲がらないので、難儀する。 

 室内でもあまり歩かないようにしていたが、それなりに作業は捗った。今、仕事や用事のある時のみ職場に来ているので、来た時にできるだけ多くのことをやっておこうと思う。今日はまあまあの出来だった。 

 

 ここに至ってようやく朝の疑問考えることができる。ずいぶん長時間棚上げしたものだ。 

 政府が少子化対策を打ち出している関係もあるのか、候補者それに関する公約を掲げている人が多いような気がしている。今回の選挙にあまり感心が持てなかった一因がそこにある。子育て支援も大切だけれど、僕に直接関係するような公約があまり見られないのだ。だから、正直言って、子育てをする人たちのために投票したという感じがしないでもない。 

 でも、選挙ということも含めて政治とはそういうものだ。自分たちの代で政策を打ち立てその恩恵を授かるのは次世代人たちだ。次世代の人たちのために投票するのだ。子育て支援をして、国民数が増える。それには利点も不利点もあるが、それによる恩恵を僕が生きている間に授かるわけではなさそうだ。 

 何に投票したのか不明だったけれど、将来の人たちのために投票したのだと思えたら、多少は気が軽くなってきた。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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