4月7日:コロナ・ジェノサイド~人命に貴賤あり

4月7日(火):コロナ・ジェノサイド(19)~人命に貴賤あり

 

 まず、職業に貴賤あり、このことを押さえておこう。休業補償を進んで出そうという職種と出し渋る職種とがある。つまり、助ける価値のある職業とその価値のない職業とがあると表明しているようなものだ。だから職業には貴賤があるというわけだ。これが働き方改革を推進してきた党の哲学なのだ。

 僕個人は職業には貴賤があると普通に思っている。毎朝阪急電車で通勤している。駅のトイレを掃除しているおばさんなんかを見かける。尊い仕事とはそういうものなのだ。それに比べれば政治家なんて下の下である。

 さて、休業補償を渋られているのは、水商売、風俗商売の人たちである。感染の危険性のかなり高い仕事をしている方々である。当然、こういう人たちにこそ補償を出し、休業してもらわなければならない。この人たちを守るだけでなく、この人たちのお客さんになる人たちをも守るためである。

 危険性と言えば、水商売や風俗業は、医療従事者と同じくらいの危険性があると僕は思う。しかし、政府は一方は全力で守ろうとし、他方は切り捨てようとする。僕にはそう見える。

 ハッキリ言えば、政府による職業差別であるが、その根底には人命蔑視の思想がある。あたかも彼らは死んでも構わないといわんばかりの対応である。この思想が、コロナを騒動からジェノサイドに変える。

 職業に貴賤ありと言ったけど、こうなると人命に貴賤ありである。

 

 仮に、政府の言う通りのことをやってみたとすれば、どうなるだろう。

 まず、夜の歓楽街へ繰り出すことの自粛がある。その歓楽街で働く人たちには補償がない。補償がないからその人たちは歓楽街で働かなければならない。しかし、自粛要請を受けてお客さんも来ない。稼ぐことができなくなれば、歓楽街で働く人たちは首を括らなければならなくなる。自殺が許されないとすれば、この人たちは昼間の仕事に転職しなければならない。政府が援助するに値するような真っ当な職種に転職しなければならない。そういうことになるのだろうか。

 しかしながら、それは政府が個人に対して就くべき職業を決定していることになる。政府による個人的領域の侵犯であり、人権侵害を通り越して、人間の支配である。

 それでも、政府はそれを目指しているのではないかと、本当にそう思う時がある。酒タバコを抹消させようと目論んでいるかのように思われることがある。そのためには、酒タバコが消費される世界を潰さなければならない。その世界を潰すとは、その世界で働く人をゼロにするのが一番手っ取り早いのではないだろうか。

 

 まあ、こんな話を展開するのは止めよう。職業と人命に貴賤があるのだけは確かだ。それ以外はすべて僕のたわ言である。

 コロナが終息しても、ジェノサイドは終わらない。コロナ以上の地獄がポストコロナで繰り広げられるかもしれない。

 

 それでも、政府が言っていることで正しいことがある。「かつてない政策を打ち出す」などと政府が表明する時、それは事実そうである。こんな職業差別、人命蔑視はかつてなかったものだと思う。そこだけは虚偽が無い。

 

ここからはおまけだ。特に本日の内容に即しているものではないんだけれど、なかなかこれを言う機会と場所がないので、ついでに言っておこう。

 水商売や風俗商売で働く女性たちがいる。彼女たちはしばしば差別的な目を向けられる。いかがわしい仕事をしているというわけだ。しかし、いかがわしいのはその仕事であって、個人とは限らないはずである。尊敬されるべき政治家の中にもろくでなしがいるのと同じである。

 ごくごく普通に生活している人にはなかなかイメージできないかもしれないけれど、頼れる人もなく、一人で自力で生きていかなければならない女性もいるのである。水商売や風俗業界で働く女性の中にはそういう人もすくなくないと思う。同じように、そういう男性もいるんだけれど、男性はもう少し別の業種に就くことも多いようだが、男性の話は置いておこう。

 ところで、今の僕の話に反論もあると思う。そういう女性ばかりじゃないぞ、と。中には遊ぶ金欲しさでそういう仕事をしている女性もいるぞ、と。それは僕も認めよう。そういう業界で働く女性の全部が全部そうとは言わない。

 しかし、こういう反論者の何がそういう反論を呼び起こすのかである。不幸な女性ばかりじゃなく、遊び呆ける女性も多いぞと反論者は言っているわけである。ここには女性の不幸に目をつぶろうとする態度が僕には感じられる。

 では、なぜ女性の不幸には蓋が被せられるのか。答えは簡単である。その反論者が女性恐怖症であるからである。そして、話が飛躍するように聞こえるかと思うんだけれど、この女性恐怖症の根底には母親恐怖症が、つまりマザコンがあるわけだ。

 いや、ああいう業界の女性たちは自分たちを身売りして、その分派手に遊んでいるんだといった偏見もまた女性恐怖症から発しているものだと僕は思う。女性の不幸とか、女性の悪とかいった側面を直視できないのである。それは母親を直視できないマザコン少年と同じ心性ではないだろうか。僕はそんなふうに思う。

 政府はそういう業界で働く人を補償の対象外にした。そこで働く女性たちの不幸を直視しないのだ。そうだとすれば、政府もまたマザコンなのである。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

関連記事

PAGE TOP