4月4日(金):取れなかった電話
今、酒を控えている。やはり身体に堪えるのだ。体も健康にしていこうという矢先に先述のようなひどい体調を迎えたわけだ。前途多難か、もしくは前途有望か、今のところ何とも言えないな。
僕の住む京都では、明後日の日曜日に京都府知事の選挙が行われるのだけれど、僕は仕事で行けないので、今朝、期日前投票してきた。その帰りと言うか道中にて、喫茶店に入り、お茶しながらこれを書いている。昼食は予定がある。その後、梅田に出て買い物をする。あることを計画していて、それに必要なものを少し購入するのだ。ついでに、古書店も見て回ろうかと考えている。もっと本を読みたい。
体は本調子ではないけれど、横になって何かするのは大丈夫だ。昨夜も、結局、2時ころまで布団の中で本を読んでいたな。今朝は6時ころ起きて、寝たままの姿勢で、枕元の本を手に取り、8時ころまで読んでいた。朝食は食べる気がしないので、パスする。
昨夜の電話が気になっている。19時半頃に最終のクライアントがお帰りになられて、それから片づけをする。身体の方がそんな具合なので、そこで帰ろうと思う。留守電にした途端に電話がかかってきた。取ったが間に合わなかった。もう一度かかってくるかもしれないと思い、留守電を解除して、もう少し待ってみる。しばらくして再度かけ直してくる人も多いからだ。でも、待っていてもかかってこない。それに早く帰宅したいという気持ちでいっぱいだ。かかってくる気配がないなと思い、留守電にして、出ようとすると、その時に電話が鳴ったのだ。本当にタイミングが合わないな。
駅に着く。電車を待つ数分、また、電車に乗ってからの十数分、立っているのもしんどかった。こういう時に限って、座れないのだ。帰宅して、すぐに横になって、そのまま朝を迎えたという次第だ。
そして、今朝になって、昨夜のあの電話のことが気になって仕方がないのだ。電話をかけてきた人は、当然僕に用があるからかけてきたのだろうけれど、悪いことをしたなという気持ちに今は襲われている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
紙一重の差で電話に出れないこともある。僕としては別に悪気はないのだ。タイミングが合わないのである。誰でも、そういうことを経験することがあるだろうと思う。いちいちブログに書くのは、この日に電話をかけてきた人に対して、弁解をしておこうという気持ちからである。今はそういう弁解もしなくなったけれど。
(平成28年12月)