4月4日(木):ミステリバカにクスリなし~『十日間の不思議』

4月4日(木):ミステリバカにクスリなし~『十日間の不思議』 

 

 エラリー・クイーンの長編小説は大体読んでいると自負している僕だけど、未読のもの、中途で挫折したものもいくつかある。本作は後者の一つで、ずいぶん昔に買った本だけど、挫折してからずっと放置されていた。せっかく買った本だし、読んでやらないと本も浮かばれない、そういう思いから今回読み直してみることにしたのだけれど、なんと、これが意外にも面白かった。 

 

 物語は記憶喪失の発作から回復したハワード・ヴァン・ホーンが旧友のエラリーを訪れるところから始まる。ハワードは自分が記憶を失っている間に犯罪を犯しているのではないかと恐れ、エラリーに監視を頼む。こうしてエラリーは三度ライツヴィルを訪れることになる。 

 ライツヴィルというのはクイーンが創作した架空の都市である。『災厄の町』『フォックス家の殺人』に続いて、本作はライツヴィルものの三作目となる。 

 

 こうしてライツヴィルのヴァン・ホーン家の客人となったエラリー。主人のディートリッヒは巨富を築いた実業家で、息子のハワードほど年齢の若いサリーと結婚している。また、ディートリッヒの弟で、いささかひねくれた性格のウルファートもこの家族の一員である。 

 本作の主要登場人物は上の4人だけである。登場人物が極めて少ないのも本作の特徴である。著者はこの4人を丹念に描き込んでいて、この家族4人のそれぞれの葛藤や確執がきめ細やかに描写される。 

 

 ちなみに、本作は400ページを超す長編だが、殺人事件が発生するのは300ページ目辺りである。事件が発生するまでが長いのである。僕がかつて中途で挫折したのもそのせいである。 

 しかしながら、この300ページの間にめまぐるしく物事が展開する。 

 まず、ハワードとサリーの姦通の証拠を2万5千ドルで買えという脅迫電話をサリーが受け取る。ハワードは父親から金を盗み、エラリーが交渉人となるものの、エラリーは脅迫者を逃してしまう。 

 続いて、ハワードの出生の秘密が明らかにされる。ハワードは捨て子であり、ディートリッヒが我が子として育ててきたのだ。その本当の両新が判明するところからハワードの悲劇が始まる 

 また、エラリーが深夜に目撃する謎の老婆。さらに、ハワードの記憶喪失の現場に立ち会うことになったエラリー。その後に展開される深夜の追跡劇。 

 そして追い打ちをかけるかのようにサリーたちを襲う二度目の脅迫。苦境に立たされるサリーとハワード。サリーは自分の所有物である真珠の首飾りを質入れして金を作り、再びエラリーを交渉役に立てる。そこまではいいとしても、すぐに真珠の首飾りを披露しなければならない羽目にサリーは陥ってしまう。 

 次の一文は本作の要点を巧みに描いていると思う。 

 「そうだ、この問題ではその点が特に気になるのだ、とエラリイは思った。圧力だ。つぎつぎとかたまって迫って来る出来事の圧力だ。とても収容しきれないほど狭い場所に、いろいろの出来事が一ぺんにかたまって積み重なっているのだ。なにものかがそれを…この圧力は異常な要素なのだ。異常な要素…この言葉が繰り返し繰り返し頭に浮かんできて、ついに彼の意識の中に根を張ってしまった。異常な…」(p246~247) 

 次から次へと何か狙いがあるかのようにさまざまな出来事が発生して、登場人物たつを苦境に陥れるのだ。この目まぐるしい展開が読者を引きつけるのだ。 

 ちなみに、こうした文章は一つの伏線になっていて、一見すると偶然のように見える「圧力」が人為的になされていることを仄めかしている。 

 

 そして、エラリーがライツヴィルに滞在して9日目、ついに悲劇的な殺人事件が起きてしまう。エラリーはここで推理のあらましを語り、事件の真相を明かす。 

 タイトルである『十日間の不思議』の十日目はそれから一年後のことである。ハワードのメモ書きを発見したことにより、エラリーはこの事件を考え直すことになり、真相を解明する。十日目のエラリーのなんと慌しいこと。 

 

 さて、以下は僕の感想をいくつか述べることにしよう。 

 本作はライツヴィルものの3作目である。過去2作の登場人物たち、ならびに過去2作の思い出などが随所に顔を出す。こういうのはファンには嬉しいものであるが、どこかノスタルジックな雰囲気が作品に生まれると思う。この郷愁の感じがディートリッヒの老いと重なる感じがして、僕の中では一抹の寂寥感を残すことになったようだ。 

 この老いたるディートリッヒ、さらには事件から一年後のディートリッヒは、老いてもなお助かろうとする。エラリーを買収しようとさえする。なかなか凄まじい生への執着である。こうした老境の心理を描いているところも印象に残った。 

 ミステリとしては、トリックやアリバイ云々よりも、プロットがよく練られている感じだ。最初の300ページは事件が発生しないのであるが、そこで描かれたことが悉く手がかりであり、事件を構成する諸要素となっている。この辺りは著者クイーンらしいところを感じる。 

 この事件を解く鍵となるのが聖書である。十戒にちなんだ事件である。エラリーはハワードがこの十戒すべてを破ったことに気づき、そこから一気阿世に解決に至る。どうして十戒に基づくのか、どうして犯人が宗教を用いるのか、一応、合理的な根拠も示される。賛否両論があるとは思うけど、僕にはそれがあまり不自然には感じられなかった。 

 そして、なによりも、本作はサイコ的である。精神分析的である。ハワードの健忘症もそうであるし、上述の犯人による聖書の利用などもそうである。児童期の固着がいつまでも心の中でくすぶり続けるということも精神分析的には頷けるのである。つまり、本書は読む人によってはエラリーの推理がこじつけのように見えてしまうかもしれないのだけれど、精神分析的な考え方に親しんでいるかどうかでそこの評価が分かれるだろうと僕は思うわけだ。 

 

 さて、僕の唯我独断的読書評価は4つ星としておこう。 

 最後まで読むと本書の面白さが分かる。それでも幾分冗長なところもある。見どころとなる場面がいくつもあって退屈させないようには作られているとはいえ、一連の出来事は一体どこに向かっているのか、事件が発生するまでなかなか本筋が見えてこないもどかしさがある。その辺りでいささか評価点が下がってしまったが、根気よく読むことのできる人であれば、本書は面白く読めるだろうと思う。 

 

<テキスト> 

『十日間の不思議』(Ten Days Wonder)エラリー・クイーン著(1948年) 

青田勝 訳 ハヤカワミステリ文庫 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

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