4月3日:できることはまだまだある 

4月3日(月):できることはまだまだある 

 

 今日はなかなか散々だ。 

 当初の予定では、朝のうちに家のことをして、それから高槻に出て、2件の支払いを行い、薬局で鎮痛剤を買い、職場に戻り、電話会社に解約の電話をかける。その後、勉強をして、室内の整頓並びに身辺整理関係のことをして、21時には職場を後にすることになっていた。 

 ところが、今日は足が痛い。右足の付け根と土踏まず辺りに痛みが走る。ツーのやつかと思ったが、どこも腫れてる感じはない。それにツーなら体重がかかっただけでも痛みが走るはずである。そうではなく、動かしたときに、筋肉が伸縮する時に痛みが走る。どうやらスジを痛めたようだ。 

 このため、思うように歩けない。ゆっくりとしか歩けない。 

 

 とにかく家のことは少しだけこなした。時間が限られているので、残りはそのままにして高槻へ出る。ゆっくりしか歩けないために電車に乗り遅れる。ロスタイムが腹立たしい。 

 

 職場に着いて、さっそく支払いに出る。一件目は問題なくできる。二件目は支払先の紙を失えていることに気づく。どこで失えたか分からない。職場の室内だろうと思うのだけれど、どこに置いたか記憶にない。しょうがない、二件目は延期だ。 

 

 薬局に行って鎮痛剤だけは買う。これは今日にも使用しそうだ。 

 

 職場に戻る。一昨日の徹夜が堪えている。昼食後、ドッと疲労感に襲われる。少しだけ休憩する。少しだけのつもりがいつしか寝入ってしまった。目が覚めた時には17時近かった。電話会社に電話をかけようと思ったが、見ると電話は17時までとなっている。ああ、こりゃだめだ。こちらも延期だ。 

 

 寝てる間に夢を見た。仕事をしている夢だ。一人の男性が印象に残っている。X氏としておこう。どうも僕はこのXが苦手だ。Xの方も僕をあまり信用していないようだ。仕事をこなす。ミスしたところもあった。みんなは仕事を終えたけれど、僕はやり残していることがあるから、と少し残業する。最後の方はXも僕を見直したようで、僕の方でもXに悪い感情を持っていなかった。仕事を終えると同僚たちが車で送ってあげると行ってくる。バンのような車だ。ここに座ったらいいよと言ってくれる。そこがいい席だったので僕は遠慮したかった。他の人が狭い後部座席などに座っているので悪い気がしたのだ。でも、気にせず乗るように言われたので、お言葉に甘えることにした。 

 この夢のこともいろいろ考えてみたいけど、その時間もなかった。 

 

 さて、起きて活動再開。 

 身辺整理関係をする。不要なメモやノートはシュレダーにかける。20枚ずつやっていった。それを5回やったので100枚処分したことになるのか。 

 必要なメモはまとめる。三冊分になった。 

 固定電話は仕舞う。長年使用してきた電話だけに、ちょっと寂しい気持ちに襲われる。でも、固定電話を使用しなくなると、空間的な縛りがなくなる。煩わしいFAXとも無縁になる。携帯電話だと通話料が高くなるけれど、固定電話分の料金が浮くのだから良しだ。そして、デスクにスペースが生まれる。これもメリットだ。 

 作業の合間に論文を一つ読む。あと、読んでる長編小説があるのだけれど、気分が乗らず。代わりに、気分転換のつもりで某短編集から短編を拾い読みする。帰るまでに5話ほど読んだ。明日からは長編小説も読み、合間に短編も読むことになりそうだ。 

 

 身辺整理をしていると、次から次へと課題が生まれてくる。終わりが見えない。それでも21時ころには作業を終えて、職場を後にする。 

 駅前の喫煙所でまずは一服だ。これから先、どれだけのことをしなければならないのか、頭の中でシミュレートしながらの一服となった。まるでリラックスできない一服だ。 

 

 それから電車に乗り、帰宅。今月から電車賃も値上げだ。ウッカリ間違えそうになる。足の方は、付け根の痛みはなくなっているものの、土踏まず辺りの痛みは残っている。鎮痛剤は服用したのに、痛みが残っている。しかし、歩いているとましになる。動かし始めが特に痛い。この程度ならなんとかなりそうだと安堵する。 

 なんとかなりそうだというのは、この後、夜勤を控えているからである。帰宅して、夕食を取り、出勤までの時間にこのブログも書いている。 

 夕食後にもう一度鎮痛剤を服用しておく。これが効いてくれれば問題なく仕事もできそうである。 

 

 さて、僕自身はいろいろやってみたい気持ちもある。バイトをもう一件増やそうと計画中だ。今の僕は、働けば働くほど自分がラクになっていくので、労働は苦ではなくなっている。むしろもっと働いて、早くラクになりたいという願いでいっぱいである。 

 カウンセリングの方は、現状ではクライアントが増える見込みはない。今後ともないだろう。カウンセリングは規模を縮小して続けるつもりではあるが、僕のようなカウンセラーは時代にそぐわないので、もう売れる見込みがないのである。 

 それならそれで構わない。元カウンセラーの立場で、これまでの経験を発信していくのもいいだろう。僕にできることはまだまだあるはずだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

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