4月29日:ことば

4月29日(月):ことば

 

 今日も仕事がある。喜ばしいことだ。今の僕には常に何かをしている方がいいようだ。できればそれが仕事であればいい。仕事がないという状態が耐えられないのだ。もし、それが仕事でなければ、勉学でもいい。とにかく、何かをして、何かを前に進めたいのだ。そういう気持ちで溢れている。

 世間は連休中だ。激務に追われている人たちにとってはありがたい休日であるだろう。僕個人は休むことは停滞を意味し、停滞するとは死を意味する。そんな感覚でいる。とにかく、生きる。生きるとは何かが前に進んでいることだ。

 

 今日の仕事は量的にはさほどではなかった。予約がびっしり詰まっているといった状態ではない。適度に空き時間も生じている。

 仕事以外の時間は、小説を読み、論文をいくつか読んだ。

 今週は社会心理学を勉強する計画だったが、こちらはあまり捗らずに終わりそうだ。次週の目標として、文学や文章の勉強をしたいと考えている。無性に文学に惹かれている。

 文学作品ももっと読みたい。それも外国の古い文学作品だ。文学作品を通して、僕はいくつもの人生を送る。現実の僕とは違った人生だ。どうせ違った人生を送るのなら、現在の僕とかけ離れている方が面白い。違った国の、別の時代の人の生を生きる方が面白いだろうし、その方が生が豊かになるかと思う。

 文学を勉強するのと並行して、文章の勉強もしたい。僕の文章なんてひどいものだ。我ながらそう思う。このブログにしても、サイトにしても、あまり時間をかけるわけにはいかないので、書いて、適当に校正して、それで完成ということにしている。本当は構成を練り、下書きをし、表現に気を配り、繰り返し清書して、そうして徐々に完成に近づけていって、最終的にもうこれ以上矯正しようがないというところまで行き着いて、そこから公開するといった手順を踏んだ方がいいのだろう。ただ、そこまではとてもできない。

 

 言葉である。言葉に始まり、言葉に終わる。少しでも何かを表現する時、言葉が使用される。非言語表現も大切であるのは確かだけど、今は言葉に重きを置いている。

 もっと言葉に敏感にならなければ。どうしてあの人はこのように言わず、あのように言ったのか、どうしてこういう形容詞を使ったのかなど、もっと一つ一つの言葉に鋭敏にならなければと思っている。心とは言葉である。心は言葉であり、言葉が心なのだ。脳や神経に心は無いのだ。

 

 学ぶべきものは山ほどある。まだまだ遠い道のりを歩んでいる。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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