4月28日:工場での最後の日 

4月28日(金):工場での最後の日 

 

 今日は工場バイトの最終日だ。今日、勤務したらこの工場ともお別れだ。最終勤務がどんなふうになるだろうか、僕は心配半分、興味半分といった気持ちで出勤する。 

 

 昨年の6月から今日まで、どれだけこの道を通っただろうか。だいぶん見慣れたこの風景ともしばらくお別れになるかと思うと、そこで一抹の寂しさが生まれる。 

 駅から工場へ向かう途中のコンビニでタバコ休憩を挟む。いつも早めに現地に着いている。電車が遅れたり、あるいは乗り損ねたりした場合に備えて、早めに到着するようにしていた。今日も今まで通りのことをする。 

 また、タバコ休憩を入れるのは、そこで少し気持ちの切り替えをするためでもある。複数の仕事をすると、それこそいくつもの自分を持たなければならなくなる。自分自身の切り替えの時間を少しばかり要する。 

 いつものように切り替えをしてから工場へ。でも、今日は最初に事務所に寄る。いくつかの手続きもしなければならなかったし、尋ねたいこともあったからだ。まあ、事務的な手続きなんて淡々としたものだ。そういうものだ。 

 

 その後、工場入りする。いつものように作業を開始する。なんか作業が億劫に感じられる。なんらの感情も動かない。それどころか激しい睡魔に襲われる。先日の徹夜が堪えているようだ。眠いし、休みたいという気持ちの方が強かった。それでも自分に鞭打ちながら仕事をする。 

 最後の去り際をどうしようかなどと考える。何人かお世話になった人には挨拶でもしてから帰ろうと、それくらいのことしか考えていなかった。実際はというと、予想していたようにはできなかった。最後まで仕事をした。2,3人にだけは挨拶して帰った。 

 作業服を着替え、ユニフォームを着替える。最後に事務所に寄って、パーソナルカードとロッカーキーを返却すれば、それでお終い。事務所に向かう途中で急に寂しさが込み上げてきた。目もウルウルしてきた。悲しい気持ちに襲われる。それでも平静を装って、事務所に入り、返すものを返して、お礼を言ってそこを後にする。 

 それから帰宅。駅に向かう。家まで徒歩で帰ってもよかったのだけれど、なんとなく電車に乗ろうと思った。往路でタバコ休憩したコンビニでまたタバコ休憩だ。このコンビニさんもよく利用したな。店頭にはバイト募集のポスターが貼ってある。このままここでバイトしようかなとも思った。でも、見ると夜勤の募集ではなかった。 

 今日の勤務のこともそこで振り返った。最初の億劫な感じにしろ、途中の淡々とした作業にしろ、あるいは繰り返し襲われた睡魔にしろ、それらは僕の感情抑制とも関係していただろうと思う。すべてがそうとは言えないけれど、幾分かは関係していると思う。最後の寂寞感や哀愁感はその抑制が緩徐してから起きたものだろうと思う。本当は仕事中もずっとそれらの感情が存在していたのだろうし、それらの感情が動いていただろうと思う。抑制しながら仕事をしていたことに思い至る。 

 

 ひとしきり振り返りをやった後、駅へ向かう。人身事故があって電車が遅れているらしい。ありゃ~参ったな、これなら徒歩で帰宅した方がよかったか。駅でまあまあ待たされた上に、来た電車は満員ときた。窮屈な思いをしながら帰宅。 

 

 家に着くまでにコンビニに寄った。一杯ひっかけたい気持ちだった。なけなしの金を使って、家呑みしようと思った。 

 そのコンビニすぐ横の通りちょっとした呑み屋街になっていて、通りで男性客同士がケンカしていた。ホステスさんが間に入って止めようとするも、上手くいかず、彼女は泣きだす始末。それでも男たちの口論は収まらない。 

 なんてこったい、こちらは感傷耽りたい気分なのに、人身事故だのケンカだの、物騒騒々しい出来事を勝手にやらかさんといてくれ、とキレそうになる。外側の喧騒が神経を逆なでしてくるようだった。 

 帰宅して、呑みながら、あれやこれやのことを回想する。工場の仕事も好きだったのだ。本当は続けたかったのだ。そこで出会った人たちのことも好きだった。みんな良くしてくれたと思い、感謝する。こういう縁の切り方を僕は望んでいなかったのだ。それでも、望んでいないことでも受け入れなければならないのが人の生だ。工場での経験も僕の糧にしていこう。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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