4月23日(火):外界の喧騒
今日は在宅の日。高槻に出る用事もない。その他、外出の予定もない。一日家で過ごそうと思う。とは言え、夜はバイトがある。バイトとバイトの間の時間を家で過ごすと言った方が正確である。
今晩のバイトは2時間前倒しとなった。シフトの予定よりも2時間早く出勤することになった。加えて、2店舗間の移動ということになった。勤務時間の後半は別の店舗へ移動して働くことになった。こういう移動は珍しいことではないが、休憩時間が移動に充てられるので、ほとんど休憩なしの労働となる。要するに、しんどいということだ。
2時間前倒しになったのは、一人欠員がでたからである。「休ませてほしい」と言ったそうである。誰がそう言ったのか、僕はシフト表で確認する。ああ、新人さんか。こりゃ、続かないかもしれないな。
人手が足りなくなるほど、僕の連日記録も更新されてしまうのだろう。夜のネオン街が最近は懐かしく思う。まあ、どうでもいいか。結局、バイトがなければ夜は遊びに行くだけなのだから、それならバイトでもしている方がマシかもしれない。
某町長さんが暴言を吐いたとか。職員に対してのパワハラがあったとか。ワイドショーで見かけた。その町長さんは謝罪しており、フレンドリーに接しようとしてきたなどと言っていた。詳しいことは分からないので何とも言えないのだけれど、テレビから得られる情報なんてそんなものだ。どういう事件があって、その人がどういうことを言ったのか、何をしたのか、そういうことだけが報道されて、その時にその人がどういう状態であったかということはまったく伝えられない。
つまり、普段フレンドリーな人がキレるととことんまで暴言を吐くなどという例では、それがその人のパーソナリティ傾向として認められるものなのか、それとも、心的破綻状態の結果としてそういう言動が現れたのか、テレビの情報ではサッパリ分からないのである。心的破綻というのは、つまり、自我の統制力が喪失し、イド衝動がむき出しのまま表出されたなどのことである。暴言を吐いた時にどういう状態であったのか、精神鑑定でもしてくれたらいいのであるが。
そう言えば、昨日、高槻の僕の職場のすぐ近くで男二人が激しく言い合っているということがあった。まあ、ハッキリ言って、口論であり、ケンカである。外の世界のことはまったく遮断したかったのであるが、埒が明かなさそうなので、僕はこっそり警察に通報した。警察ではすでにその件を受理しているという。それならそれで早く来いや、などと思う。なかなか警察が来ないから僕は通報したのだ。
そもそもの発端は肩がぶつかったとかなんとか、そういうことらしい。被害を訴えた側が激しく相手に嚙みついたのだ。自分は被害者であり、暴力を振るわれたと主張するわけだ。相手が何か言うと、男は「暴力だ」を連発する。要するに、言葉というか音声は交わされているけれど、コミュニケーションが成立していないのである。
傍から見ると、被害を訴えている方が加害者のように見えてしまう。それだけ激昂しているのだ。加害者とされた側は、最初は冷静に応じていたが、だんだん感情的になってくる。そうなると、彼の言動に加害的な色彩が濃くなってしまうので、被害を訴える側の思惑通りになってしまうのだが、それはどうでもよろしい。
被害を訴える側からすると、相手のすること言うことはすべて「暴力」となるらしい。実際、そうなる例があるのである。分裂病ではそれが事実なのである。自分の領域に踏み込まれることはすべて暴力的に体験されるのである。体が触れることも、言葉をかけられることも、自分のエリア(心的領域のことだ)に侵入されることはすべて暴力的に体験され、解釈される。
だから、こういう場合、何かイチャモンをつけられても、無視して通り過ぎるに越したことはない。絡めば絡むほど暴力になってしまうのだから、速やかに相手の心的領域から遠ざかった方がいい。その方が相手のためにもなるというものだ。
被害を訴え、相手の言葉一つ一つに「暴力だ」と決めつけた男性を分裂病と僕はみなしている。それも人格的貧困化の程度がひどくない程度の分裂病だ。つまり、それだけ外的世界に対して敵対できるだけのエネルギーがあると言えるからである。
まあ、そんなことどうでもよい。僕には関係のない出来事だ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)