4月22日(月):VIVAマカロニ~『嵐を呼ぶプロファイター』

4月22日(月):VIVAマカロニ~『嵐を呼ぶプロファイター』 

 

 マカロニ作品も繰り返し観た。最後にもう一度鑑賞して、マカロニDVDともお別れしようと思っている。最近は時間が取れるとマカロニ作品鑑賞に充てている。今回はアンソニー・ステファン主演の『嵐を呼ぶプロファイター』を観る。1965年の作品だ。 

 

 物語は町の有力者ロペス(ホセ・ガルヴォ)がマクドゥガルを処刑するところから始まる。二人の間に何があったかは知らないが、ロペスが🐡身体不具になり、車椅子生活を送るようになったことの復讐である。 

 マクドゥガルの息子スティーブン(アンソニー・ステファン)は父の死を知ると、軽騎兵隊を脱走して、叔父アンディ(アルマンド・グアルエルニ)と妹ジュディ(アイダ・ガリ)を訪れる。ロペス側もスティーブンの帰郷を知り、息子のマヌエル(ヒューゴ・ブランコ)を刺客として送り込む。マヌエルの妹ピラール(ジェンマ・クエルボ)はそんな父兄を見て不安そうである。ピラールはスティーブンとは幼馴染で、彼に恋心を抱いていたからである。 

 スティーブンの前に姿を現したマヌエル。一騎打ち対決でマヌエルが斃れる。息子を失ったロペスはその報復に出る。殺し屋グリンゴ(アルド・ベルディ)たちを雇い、スティーブンを襲わせる。 

 グリンゴたちはアンディを襲い、ジュディを拉致する。ジュディを拷問してスティーブンの居所を突き止めようとする。 

 スティーブンと殺し屋たちとの対決。殺し屋たちはスティーブン討伐に失敗し、グリンゴの兄が斃れる。ロペスはグリンゴたちを解雇しようとするが、グリンゴは兄の復讐を目論む。グリンゴはロペスを撃ち、彼の部下を率いてスティーブンへの復讐に向かう。 

 

 おおまかなストーリーは以上だ。 

 ここで描かれているのは復讐の連鎖だ。ロペスがマクドゥガルに、スティーブンがロペスに、ロペスがスティーブンに、グリンゴがスティーブンにという具合に、一つの復讐が次の復讐を生み出していく。本作の原題(イタリア語なので分かんないから省略してるけど)は「なぜ、さらに殺すのか」という意味だそうであるが、適切なタイトルだと思う。 

 二人の女はこの復讐の連鎖を断ち切ろうとする。ピラールは説得によって復讐を終わらせようとする。ピラールの場合、スティーブンを愛しているからでもある。ジュディは決闘に加担することによって、復讐の連鎖を終わらせる。ジュディの場合、兄のスティーブンを助けるためでもある。女は女のやり方で復讐を終わらせようとするが、男たちの復讐劇の前でははなはだ無力である。 

 

 その他の登場人物として、棺桶屋のサム(フランコ・ペシ)がいる。本作の中ではユーモラスなキャラクターで、復讐の連鎖を傍観してるところがあるが、スティーブンとマヌエルとの一騎打ち対決に立ち会ってしまうなど、まったく無関係でいられず、巻き込まれてしまう。 

 脱走したスティーブンの後を追う騎兵隊のドリスコル(ステリオ・キャンデリ)もスティーブンの復讐を思いとどまらせようとしていたのだろうか。結局、彼はスティーブンに追いつくことがなかったのだが、組織でさえ個人の復讐を止めることができないことを象徴的に表しているようだ。 

 ロペスの部下の一人に殺しを拒否する男がいたが、彼は脅されてロペスの復讐に従うことになってしまう。ここにも一人、個人の復讐に巻き込まれた人物がいることになる。 

 元々はロペスとマクドゥガルとの個人的な出来事であったはずである。一つの復讐が次の復讐の種となり、こうして復讐が連鎖していき、それだけでなく、本来それとは無関係だった人たちをも巻き込んで復讐の連鎖が進んでいき、誰もそれを止められず、行き着くところまで行ってしまわなければ収束できないのである。そこに本作のテーマがあり、魅力があると僕は感じた。 

 

 しかし、テーマは魅力だし、ストーリーもしっかりしているとは言え、どことなく低予算のB級テイストが感じられてしまうのが残念だ。 

 ロペスを演じたホセ・カルヴォは悪役のボス役にはいささか不向きな観があると僕は思う。もっとも、悪役があんまり悪過ぎない方が本作のテーマからしていいのかもしれない。つまり、極悪人たちの復讐連鎖ではなく、普通の人たちのそれと映る方がいいのかもしれない。悪役たちのインパクトが乏しくなるという欠点が生まれても、その方が却って復讐連鎖について考えさせられ、感情移入できたのかもしれない。 

 

 本作は1965年の作品だ。マカロニ全盛期の初期に当たる。ブームが来たということで急いで作られた作品だったかもしれない(もっともそういう作品はゴロゴロあるけど)。じっくり丹念に作りこまれていたら、本作はもっと良かったかもしれない。そんなことも思ってしまう。 

 しかし、まあ、日本語のタイトルは何とかならんのかいな。マカロニ作品(その他の西部劇でもそうだけれど)では似たようなタイトルのものが多く、タイトルだけを聞いても、それがどの作品であったか迷うことがしょっちゅうある。アンソニー・ステファン主演作では「プロ○○」系のタイトルが多いなとは思う。 

 他にも、「荒野の○○」とか「○○の用心棒」とか、どれがどれだか分からなくなる。当然、これらの日本語タイトルは作品の内容とかテーマとかを表現しているわけではない。イタリア語のタイトルも違和感を覚えることが多いのだけれど、日本語タイトルもけっこうセンスが無いというか、工夫が足りないというか、ヒット作が生まれるとそれに便乗するようなタイトルが付けられたりする。商業主義なのが見え隠れする感じがしてしまうのだ。 

 『嵐を呼ぶプロファイター』ってね、作品内容と合致してないのだけれど、マカロニ作品に馴染んでくると、タイトルのこのチープ感がまた魅力になってくるのが不思議だ。 

 

 まあ、何はともあれ、本作はいい作品だと思う。名作とまではいかないし、人に薦めたいとまでは思わないのだけれど、僕は面白く鑑賞することができた。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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