4月21日(火):コロナ・ジェノサイド(29)~a la carte
今日もa la carteを。小さなテーマで綴ることにしよう。
(タテ社会の弊害)
僕は政府はかなり精神的に病んでいるとみなしている。現実に直面化できず、妄想体系を膨らまし続けているように見えて仕方がないのだ。
僕のその見解が行き過ぎだと言われれば僕はそれを認める。それが僕の方の妄想であればいいと思っているくらいだ。
別の観点から見ると、タテ社会の弊害が見える。政府の官僚も、専門家会議のメンバーたちも、その他医師会たちも、すべてタテ社会である。学会なんかもそうだ。
タテ社会の何が拙いのかというと、新しい視点が持ち込まれないことにある。諸外国がやっていることがどうして日本ではできないのか。上の人間が古いからである。昭和のまま生きているような人たちばかりが上にいると、新しい発想、新しい見解は生まれない。
営業と外出の自粛要請は出すけれど、補償はしない。この発想は高度経済成長期のものである。好景気の時代なら、補償が遅れても2,3か月は生きられるだろう。企業も家庭もある程度の期間は持ち堪えるだけのものを有しているだろう。ところが、今はそんな時代ではないのだ。アベノミクスは数字による幻影にすぎないので、それを好景気と勘違いされても困るのだ。
それはさておき、時代遅れが上にいると、いくら革新的な若手がいても芽が出ないし、発言も通らない。タテ社会ではそういうことが起きてしまう。新しい発想が活かされないので、日本はアジア諸国においても最後尾を走っている。
(センターレス)
そんな政権の支持率が低下しているという。当然と言えば当然だ。ところが、そのことは一般に思われている以上に深刻な事態を招く。
政党が支持されないということは、国民が国を支持しないということなのである。国民は何も支持するところのものを持たないのだ。
みんなで団結しようとか、力を合わせようとか、そういう呼びかけをする人たちもある。著名人がそういう呼びかけをして、賛同する人も多い。しかし、どこに団結するというのか。
要するに、僕たちは団結するにしても、団結する中心をもはや持っていないのだ。センターレスの集団しか形成できないのだ。国の非常事態においては、国がその中心となる。国家を中心にして人々が団結することになる。その中心がもはや危ういのだ。僕にはそう思われるので、非常に危険な状況にあると感じられている。
(正気を保つこと)
団結する中心点を欠くので、いくら団結しようとも小集団がいくつも形成されるだけである。
団結することよりももっと大切なことは、僕たち一人一人が正気を保つことである。スーパーの店員にキレるとか、看護師の子供を差別するとか、そういうニュースも聞く。DVだの虐待だの、家庭内の暴力問題も耳にする。
前回、拘禁反応ということを述べた。爆発反応はすでに「心の病」なのである。すでに正気を失っているのである。
僕の個人的見解では、政府はもはや現実機能を果たせなくなっている。要するに精神病水準の病理に陥っているのだ。上がそんな状態であるからこそ、下の我々は正常を維持しなければならない。我々までが正常でなくなれば全員が滅びることになる。
(知る権利の剥奪)
市中感染、並びに家庭内感染も広がっている。怪我で救急搬送された患者が、後から感染者であったことが判明したりして、病院内感染も起きる。
こうした感染拡大の背景に検査不足がある。誰が感染しているのか、まったく分からない状態が続いている。この状況が被害を拡大していると僕は思う。
かつては検査体制が不十分だと言われていた。今、当時よりも検査体制が整っている。それなのに検査数が増えないということになっている。その要因の一つは保健所の役割が多すぎて、保健所が機能しなくなっていることにある。政府は保健所に丸投げしているのだ。ここにもタテ社会を見る思いがする。
僕だって知りたい。検査を受けたいと願っている。自分が感染しているのかどうか、あるいはすでに感染していたのかどうか、自分の現状を知りたいと願う。PCR検査も完璧ではないので意味がないとも言われるのだけれど、それは論点のすり替えがなされているのだ。肝心なことはどうして知ることができないのかだ。
自分の状態を知りたいと僕は望むだけなのだ。検査の精度は二の次なのだ。どうして知る権利が奪われなければならないのか。そこが問題なのだ。
もちろん、希望者が殺到して検査が追い付かないので検査ができないとか、そういう事情があるのなら許せる。ところが、検査ができるのに十分になされていないのだ。また、希望者が検査を受けられるような体制を整えようという兆しも見えないのが問題なのだ。ドライブスルー、ウォークスルー方式のことをもっとやればいいのにと僕なんかは思ってしまうのだ。
しかし、知る権利が剥奪されているのは今に始まったことではない。森友問題にしろ、花見問題にしろ、この政府はとかく国民に知らさないのだ。隠蔽ばかりやってきたように思う。国民に知る権利があるとしても、国民はその権利を行使できないし、権利主張もできないのである。それが今の政権である。
確かに、森友問題とか、花見問題とか、そういうのは直接僕には関係しないし、ことさらそれらに関して知りたいとも思わない。ただ、検査は少しばかりそれと事情が異なるのだ。
自分の身体や健康に関する事柄なのに、知ることができないのだ。自分自身のことなのに、それを知る手段が閉ざされているのだ。
絶望的な気持ちになる。この国に未来はない。日本はコロナで敗北する。非常事態なのに、国民の生活保障を考えない国なのだ。世界中探してもこんな国は存在しないんじゃないか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)