4月17日:『ウエスタン』観る 

4月17日(月):『ウエスタン』観る 

 

 昼ごろから雨になると天気予報では言っていた。うっかり傘を忘れてしまう。帰る頃は案の定の雨だ。クライアントに使用してもらう用の置き傘を使って帰宅する。雨足きつく、駅から自宅までの間でけっこう濡れた。 

 数日前から風邪気味で、喉の調子がよろしくない。雨に濡れることは問題でも何でもないが、この風邪が悪化するようでは困る。それだけが心配だ。 

 不思議なもので、喉の調子が悪くても、タバコだけは吸う。喉がやられて、声も出しづらくなっているにも関わらず、タバコは手放さない。 

 仕事のほうは、今週から少し暇になる。例年通り、連休前の静けさだ。ただ、今年はその静かな時期に入るのが少々早い。連休、盆休み、年末年始など、イベント事の前は静かになる。僕のこの仕事の特徴の一つだ。本当は祭りの後が危ないのである。 

 

 ウイリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』、第4講、第5講を読む。一日に2~3講ずつ読んで、8日程度で読み終わる計画を立てている。今日は、調子に乗って、第6講、第7講まで読んでしまう。第7講の最後が少し残った。ちょっと飛ばしすぎだ。 

 第4,5講義の「健全な心の宗教」よりも、第6,7講の「病める魂」の方が共感できる。それだけ僕の魂も病んでいるのだろう。健全な心よりも病める魂の方が親しみを覚えてしまう。 

 

 帰宅後は、昨日に続けて、マカロニウエスタンを観る。今晩チョイスしたのは『ウエスタン』だ。最新号の冊子にファビオ・テスティがノンクレジットで出ていると書いてあったので、確認も兼ねて、観る。どうも、ヘンリー・フォンダ演じる悪役フランクの手下の一人を演じているようだ。 

 それにしても、この『ウエスタン』という映画にはなんとも言えない不思議な感じがある。時系列がおかしい部分、シークエンスがつながらない部分なんかもある。 

 また、終盤部分、シャイアンが逮捕されてから、ジルを来訪するまでの間が一切描かれていない。この間に、シャイアンは護送され、その道中で脱走し、恐らく手下とともに黒幕のモートン一味と戦い、シャイアンも腹に一発喰らって負傷したという一連の出来事があるはずなのに、そこはまったく描かれていない。こういう過剰な省略が見られるところもある。 

 それでいて、オープニングはあれだけ丹念に描いているのだから、どうもアンバランスな感じがしてくる。遠景からのショットを効果的に活用しながら、一方で、過剰なほどアップが多用される。画面に俳優の顔だけというショットを数えたら、この映画、かなりの数になるんじゃなかろうか。 

 こんなにアンバランスで、穴だらけの作品なのに、魅力に溢れていて、面白いのだから不思議なのだ。 

 おっと、音楽のことを忘れていた。この映画、エンニオ・モリコーネが音楽を作っているが、これがまた、いい仕事をしているのだ。主要登場人物それぞれに音楽がある。ハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)にはハーモニカの旋律があり、彼が登場する時にはこの旋律が流れる。フランク(ヘンリー・フォンダ)にはエレキギターの音が印象に残るテーマ曲があり、ハーモニカの旋律が絡む辺り、この二人にはある種の関係があるということを音楽で表している。シャイアン(ジェーソン・ロバーズ)はトリックスター要素のある役どころで、音楽もそれに合わせて、軽快でユーモアのある曲になっている。ヒロインのジル(クラウディア・カルディナーレ)には女性ボーカルを含む美しい旋律(プッチーニっぽい感じ)が用意されている。 

 それぞれの登場人物に、その人物を端的に表現しているような音楽が作られており、作中、彼らが登場する場面で効果的に使用される。音楽のこの使い方は、映画的というよりも、オペラ的なのだ。 

 その一方で、静寂や自然の音が、音楽以上に、印象に残る。オープニングの場面やマクベイン一家が殺される場面の静寂さは特に印象的だ。汽笛、汽車の音は、それだけで文明と資本主義を連想させる。音楽と言っていいのか、それとも音響と言うべきか迷うのだけど、音楽以外の音(静寂を含む)も上手に使われているなと感じる。それらの音と音楽とが重ならないようにもしているのだと思う。 

 まあ、『ウエスタン』の話はこれくらいにしておこう。この映画、掘り下げるときりがなくなる。僕の中ではそれだけ拾いどころ満載の映画なのだ。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

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