4月16日:不幸国

4月16日(金):不幸国

 テレビで見ないと思ったら、そうか、首相は訪米中だったか。どうせオリンピックの話も出るのだろう。

 しかし、ホントにオリンピックなんてものをやるのかね。オリンピック精神に泥を塗りたくっている日本の罪は大きいと僕は思う。それに、日本国内だけでなく、海外においても8割近くの人が今回のオリンピックに否定的な意見を持っている。僕もその一人だ。二階氏もスパッと中止があり得ると発言して物議を醸しだしたみたいだけれど、あれはけっこう本音なんじゃないかと思う。

 オリンピックはこれまでにいろんなことで揉めてきた。そんなにトラブル続きならいっそのこと中止にしてしまえばいいのである。その方が清々する。

 オリンピックをやるのならコロナ感染対策を真剣にやっていないといけない。まん防のような中途半端な対策をあちこちでやっているようじゃダメだ。もっと経済支援も充実させないといけない。

 考えてほしいところだが、海外から選手がやってくる。仮に選手村は感染対策を万全にやって安全だとしよう。それでも一歩選手村から出れば、感染者があふれ、医療にかかれない人たちが大勢いて、路上生活者や生活困窮者いっぱいいるとすれば、選手たちはどんな思いをするだろうか。自分たちが競技やっていることに罪悪感を持ってしまうかもしれないし、この罪悪感から競技引退する人も生まれるかもしれない。選手たちも苦しい思いをするのではないか。

 池江選手のように、2020年には間に合わなかったけれど一年延期のおかげで出場できるというアスリートの人たちもたくさんいると思う。外国にもそういう選手がおられることと思う。この人たちはコロナのおかげで出場できたなどといった誹謗中傷にさらされてしまうことだって考えられるのだ。

 一年延期が間違っていたのだ。昨年の時点で中止の決断を日本はしておくべきだったのだ。オリンピックを中止にして、コロナ対策だけに取り組んでおく方が良かったのだ。

 確かに、オリンピックがなくても政府のコロナ対策は変わらなかったかもしれない。政府のコロナ対策とオリンピックは関係がないと考える人もおられるようである。それは個人の見解なので構わないとして、僕はやはりオリンピックがコロナ対策の足枷になっていた部分が少なからずあると思っている。

 政府が支援金等のお金を出し渋るのはオリンピックのためだと考える人もあるようだ。それもあるかもしれない。でも、僕の考えは少し違う。政府が出し渋るのは疚しい何かがあるからだと睨んでいる。表沙汰になったら困る何かがあるので出し渋るのだと思っている。

 今の政府は僕にはまったく信用できない。コロナ関連の数字も政府が出しているものは信用できない。改竄されているかもしれないなどと思い込んでしまうのだ。そういうことをしてきた政府であると僕には感じられているので、それらの数字にも改竄が及んでいるかもしれないと、確かに根拠はないけれど、そういう印象を受けてしまうのだ。

 マイナンバーカードを僕が作らないのもそれと関係する。作るのはいいけれど、ちゃんとした運用ができるのか、それが心配になる。

 昨年、カード作成の駆け込みがあった。カードを持っていると給付金が早く振り込まれるというデマのような話に乗っかってしまった人たちだ。すでにカードを作っている人だけが早いのであって、今からカードを作ってということをやっていると却って遅くなるはずである。

 そもそも、その人たちもカードを作りたくて作ったのではないのだ。本当の目当ては一日でも早い給付であったはずである。

 では、全員がカードを作ったら、給付金のようなものも速やかに国民に給付されるのかと言うと、僕はやはり疑問を覚える。昨年、カード所有者に給付が速やかに行われたのは、カード所有者の数がまだ少なかったからではないかとも思えるのだ。これが数が増えると、やはり時間がかかるのではないかという気がしないでもないのだ。

 それ以前に、僕たちは政府の資料扱いぶりをさんざん見てきた。野党から資料を提出するように求められても、その資料が紛失しているとか、スタッフがシュレッダーにかけてしまったとか、今探している最中ですとか、そんな資料あったかなとか記憶にございませんとか、そんな答弁を聞かされてきた。僕はその答弁をそのまま信じよう。そうすると、そんな雑な管理しかしない国に個人情報を預けて大丈夫なのかと不安になるのは当然である。

 日本の精神医学の父である呉秀三先生が日本の精神病者とその処遇の現実を見て次のように言った。彼らがこの病気(精神分裂病)に罹っていることは不幸なことであるが、彼らがこの国で生きていることは重ねて不幸なことである、と。

 今の僕はそれと同じような気持ちに陥っている。コロナや不況の不幸に加えて、今の日本に生きているということがそれに輪をかけて不幸なことであるように思えている。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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