4月14日:現状を生きる

4月14日(水):現状を生きる

 今日は書いてばかりの日だ。若干の予定以外はもっぱら書いて過ごす。

 何を書いているかと言うと、過去の収集した「ケース」だ。これは僕がクリニック時代に書き取ったものを始め、新聞等の悩み相談、雑誌やネットで収集したケースである。紙媒体で残しているこれらをワードに打ち込む作業だ。もう一度読んでから捨てようと思っていたのだけれど、読むついでに書いて残しておこうと思い立った。

 正確な数字は分からないけれど、1000ケースくらいある。これを一日20~30ケースくらいワードで書いて保存しておくというわけだ。2か月くらいかかる作業だ。

 でも、無駄にはならない。僕の目を曇らせないためにも必要な作業と捉えている。100ケースくらいでもまあまあなものだけれど、500ケースも読めばかなり目が鍛えられる。人の抱える心的問題というものはある程度のパターンとか共通項などがあるので、数をこなせば目が肥えてくる。つまり、見る目ができてくるということだ。1000ケースやればかなりなものだと思う。「目」の作り直しをやっていこう。

 とは言え、今日で三日目か。かろうじて100ケース近く書き残しているか。まだ1割程度しか終えていない。先は長いが、気長にやっていこう。

 相変わらず、コロナに怯えている。感染したら重症化するという妙な自信がある。そして死を迎えるだろうという、これまた妙な確信がある。とにかく、生きている間に全力は尽くしておこう。

 そうそう、クライアントにしろ悩みを抱えている人というのは、バラ色の何か、楽園的な何かを思い描いていることが多い。「治る」ことの第一歩はその退行的な色彩の濃いファンタジーを捨てることだと僕は考えている。

 どんな過去を持っている人であれ、人間は現在の状況に投げ込まれ、巻き込まれていく存在なのだ。その状況の中で各々の人の生が試されているのだ。生きていくことは決して安楽な仕事ではないのだ。常に状況が自分に突きつけてくるものがあるのだ。「治る」とはそれに取り組めるようになることなのだ。

 しかし、まあ、今日はそういう話はしないでおこう。今日はもう疲れてしもうた。結構な時間、パソコンとにらめっこしているので、なんだか書くのもしんどく感じられている。今日はこの辺で終えておくことにするか。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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