4月11日(火):契約更新日
コンビニで深夜勤務をして、それから工場の夜勤という日程だ。今日は高槻の方は定休日なので休みだ。
コンビニの方はきつかった。足が痛くてたまらなかった。特に朝の4時以降はきつかった。それでもどうにかこうにか仕事はこなしたけれど、僕の中では不満と不充実感が残っている。
朝、帰宅して、8時ころ寝る。午後の2時前くらいに起きる。まあまあ寝た方だ。いつもはもっと睡眠時間が短い。
起きてから、工場へ行く時間まで原稿を書いて過ごす。サイトの原稿だ。時間があると書いている。書く方が追い付かない。
夕方、工場へ向かう。今日は契約更新日なので、いつもより少し早く出る。
契約更新だ。肩とかポンポンと叩かれて「ごくろうさん」などと言われるのではないかと毎回思っていた。これまでのところ、それはなかった。2,3か月先まで更新してくれていた。でも、今日はそうはいかなかった。
要するに、工場の利益が上がっておらず、人員整理を始めたのだ。僕は5月前半で契約打ち切りとなった。それならそれで構わないけれど、これから勤務する直前にそういう話をされたので、なんとも力が抜ける思いだ。
工場の仕事も僕は好きだった。できれば2年続けたかった。でも、こればかりはしょうがない。会社に雇われている以上、会社の方針に従うまでだ。
工場に入る。作業着に着替える。いつもだったら今日はどんな仕事をするだろうかなどと考える。今日は、この先どうしようかということを考える。なにもかもがいつもと違う感じだ。この見慣れた風景もあと数回でお別れかと思うと感慨深いものがある。
工場内に入る。リーダーさんと一緒になった。僕はそれとなく言ってみた。リーダーさんも驚いていた。リーダーさんいわく、工場の生産量は例年とそんなに違わないそうだ。でも、昨年と同じ量を生産しても、昨年と同じ利益が上がるわけでもないだろう。原料の高騰とか、相場の変動もあるだろう。同じだけ作って、同じだけ利益が上がるわけでもない。
世界的にニーズのあるはずの半導体製造でもそんな感じだ。もっと言えば、これは日本政府の怠慢である。素人の僕が見ても、台湾辺りの半導体業界は日本よりも進んでいると思うくらいだ。日本はこの業界でも取り残され、そのとばっちりを僕はくったような感じがしている。
それはともかくとして、もう先がない。そんなことがアタマを占めているので、機器のオペレートでもミスをしてしまいがちだ。こんなことではいけないと、意識を集中させるが、それも持続しない。
そんな矢先に社員さんから叱られた。叱られることくらいどうってことはないんだいけれど、社員さんもどこかピリピリしているのかも。
こまかい話はどうでもいいか。そこで叱られた時、「ああ、もういいかも」という気分になったのは確かだ。つまり、もう辞めてもいいかなと思ったのだ。
製品が流れてくる。僕はその検査をする。たまたま座標軸の分からない製品が来たのだ。僕はそれを後回しにする。後回しにしたのは、それを訊く人が回りにいなかったからだ。なぜ人がいないかというと、会社がノー残業デーをやっているからだ。いつもなら社員さんがいるところなんだけれど、今は無人になっている。だから後回しにしたわけだ。交代の社員さんが来て、すぐにそれを訊けばよかったのかもしれないんだけれど、そこからまた製品が流動するようになって、そのまま後回しになってしまったわけだ。僕も悪かったとは思うけれど、僕だけが言われるのも納得いかない感じだ、でも、そんなことがもうどうでもよくなった。気持ちはもう工場から離れていることを自分でも悟った。
退勤の時間が来たので、僕はその場を後にする。いつもなら、「お先です」とか「お疲れ様でした」などと周囲の人に言って帰るのだけれど、今日は無言で後にした。申し訳ないが、誰とも言葉を交わす気になれなかったのだ。
工場の仕事は好きだった。大きな機械をボタン一つで動かすのは、自分が偉くなった気分がして気持ちよかった。できれば続けたかった。でも、だんだん未練も薄れてきた。最後の望みは、僕が勤務している間にお世話になった社員さんたちにお礼を言いたい。一人一人にお礼を言いたい。できるだけやっていこうと思うのだが、限られた時間でどこまでそれができるかも覚束ない。
新しいことをやっていくことも大事だけれど、今やっていることの締めくくりもきちんとしたい。どこまでできるか分からない。でも、残された時間の中でできる限りやっていきたい。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)