4月10日(火):断酒14か月達成
昨年の1月10日に開始した断酒は、昨日でまる14か月達成したことになる。今日から15か月目に突入である。
しかし、この1か月は非常に厳しかった。何度も飲酒の欲求に襲われ、下手をするとフラフラと呑み屋に入ってしまいそうになる自分があった。なんとか気を引き締めて、耐えてきた。
ちょうど時期的に歓送迎会のシーズンでもあって、酔っ払いを頻繁に見かけたということも、僕にとってはきつかった。帰りの電車の中が酒臭いということもあり、僕としては腹立たしい経験をいくつもした1か月だった。
酒を呑みたいという気持ちはある。でも、以前の呑兵衛に戻りたいとは思わない。酒飲みは本当に惨めだ。
酒を呑んで、酩酊して、僕は失った物を取り返した気持ちになっていた。現実には何も取り戻してはいないのだ。単に幻想のこと、ファンタジーのお話なのだ。それをするよりも、なぜ僕は失うだけの生き方をしてきたのかを問う方がよっぽど建設的な問いだということを、今では理解している。
酒を呑むと、その時は愉しい。いわばその場限りの愉しみにうつつを抜かしているだけだった。実に下らない生き方だった。僕は生き方の問題だったと今では捉えている。依存症とは、依存対象と自分との関係が問題になるのではなくて、依存症という生き方をしているということが問題なのだということがよく見えるようになった。
人間は本当に非力で脆い存在だとつくづく思う。だから何か縋りつく対象が欲しいのだろう。僕は酒と活字とタバコに依存している。その中で酒に依存するのを止めたというだけで、生き方そのものが変わったかどうか自分でもよく分からない。僕にとっては大きな出来事だけど。それでも以前よりかは自分が変わってきたという実感はある。
次はタバコに取り組もうと思っている。実際、そういう取り組みは既に始めている。今でこそ断酒14か月達成などと言っているけれど、酒を止めるということにこれまで何度も失敗してきた経験がある。一度や二度の挑戦で成功するはずがないということを、僕は経験的に知っている。実際、今回の断酒なんて、何十回目の挑戦だったろうか。
だからいくら失敗しても構わないと僕は捉えている。一回目で成功する人も百回目で成功する人も、成功したということでは等価だからだ。速い遅いはあまり関係がないし、そこに囚われることは、特に依存症の場合、弊害でさえある。
ところで、最近、阪急の駅のホームでぶつくさぼやいている人を見かけた。よく見ると、かつての呑み仲間だった人だ。みんなが「かつ丼さん」と呼んでいた人だ。彼は最後の〆に、ラーメンとかうどんではなく、かつ丼を食べるのでそういう綽名が付いた。僕は丁寧なことに、彼に「勝丼太郎」という名前を付けてやった。だから、ホームで丼太郎がぼやいておると僕は思ったのだ。
しかし、丼太郎も何も変わっておらんなと思った。前々から駅のホームでぼやく姿を見かけたものだが、相変わらず丼太郎節は健在である。丼太郎の方は僕のことをもう忘れているだろう。それほど親しかったわけでもない。いつもの店で顔を合わせる常連さんくらいの関係だ。しかし、他人事ながら僕は気になったね。丼太郎はいつまで、あと何年ああいうことを続けるつもりだろうとね。酒飲みというものは、本当に変わらんものだと僕は思うね。僕は自分を変えていく方を選んでいる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)