4月1日(日):生の整理
今日から4月、新年度だ。とは言え、そんな実感はまるでなく、今まで通りの日々が続きそうだ。しかし、4月から新たに始めることもある。それは追々ここで綴っていこう。
天気のいい日曜日。ウッカリしていた。案の定、電車の中は混雑していた。
車中に外国人旅行者の家族がいて、小さい子がビエーンと泣き出した。ああ、もう、本も読めない。読書を断念して、窓外の景色や車内の人を観察して過ごす。
若い女性がスマフォで一生懸命やっている。チラッと覗くと、ゲームだ。電車の中でもゲームか。そんなに面白いのかね。そうしているうちに心的高次機能が侵されていくのに。気がついた時には後の祭りなんてことにならないように祈る次第だ。
ゲームに興じている間にも、人生は容赦なく通過していっているのに。
自分にはもう時間が残されていない、そんな強迫観念に襲われている。なぜかひどく現実的に自分の死が感じられている。それで不安に襲われることはない。が、生きている間にすべてを終わらせないといけない、すべてを片付けておかないといけない、そういう焦燥感というか、使命感がある。
もちろん、今すぐ僕の生が終わるわけではない。僕は長くてもあと10年くらいしか生きられないのではないかと思っている。何となく、そういう確信がある。それ以上に生きられるとすれば、それはそれで結構なことではあるが、あまりそういう期待が持てない。今朝も身体の悪化を実感する出来事があった。
4月から新たに始めることの一つは、僕の生の整理である。これを少しずつ実行していく。死が身近に迫った時に準備ができていたい。それだけでなく、こうして動けている間にやっておきたいという気持ちもある。
しばらく前から職場の蛍光灯が切れていた。二本切れていた。速やかに買い換えてもよかったのだけど、もう少し待てば他も切れるだろうと思っていた。案の定だ。今日の夕方、もう二本切れた。
二本ずつ二回に分けて買いに行くより、まとめて四本買う方が手間が省けるものだ。明日、買いに行こう。
日曜日は18時で閉めてもいいことにしているけど、結局、20時まで残った。原稿を書いて過ごした。「自称AC」に関するページの原稿だ。
振り返ると、開業して、最初に経験した困難が「自称AC」の人たちだった。今、このテーマに取り組むことは、ある意味で、原点に帰ることでもある。そして、最初の困難に関して、僕なりに決着をつけたいという気持ちもある。これもまた僕の生の整理という活動の一環であると信じている。誰からも読まれなくて構わない。僕自身にケリをつけるためにも、一応の完成を見せたいと思っている。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)