4月1日:書架より~『ヒューマン・ファクター』 

4月1日(月)書架より~『ヒューマン・ファクター』 

 

 おそらく僕が21歳頃に買った本だと思う。当時、僕の中でグレアム・グリーンが気になっていた。何冊か読んだのだけれど、初期から中期の作品に良さを感じて、こういう後期の、それも晩年に近い作品は今一つだという感があった。それで本作はずっと読まず嫌いだったのだけれど、この年齢になって、改めて読んでみると、なんといい作品ではないかと見直した。 

 ちなみに僕はスパイ小説なるものが苦手なのだ。国際情勢のこととか言われるとよく分からないのだ。でも、グリーンのスパイ小説だけはなぜか読んだ。本作もスパイ小説だけど、アクションもなければ、スリルあふれる追跡劇もない。平凡な公務員たちの日常があるだけだ。しかし、それでも面白い。 

 

 主人公カースルはイギリス外務省に努める役人である。機密情報がアフリカに流れたということで、上層部の人間は外務省の、それもカースルの勤務する課に二重スパイがいると睨む。上の人間は密かに彼らを内偵する。一方、カースルらも彼らの行動に疑惑の目を向ける。こうして身内どうしが探り合い、疑い合いをしていくわけだ。ここで展開される人間関係とは、表面的には穏やかであっても、決して誰とも信用し合うことのない関係なのだ。常にスパイし合い、話すときにも盗聴器を気にして話さないといけないという異常な環境である。 

 この異常な環境において、カースルの部下であるデイヴィスは唯一正常な人間のように僕には見える。彼は競馬とワインを愛し、秘書のシンシアと親密になることを望んでいる。彼にはそれだけなのだ。そしていつか海外勤務すること(この環境から抜け出るということだろう)だけを夢見ている。規律や情報などに拘らないところもある。異常な環境における正常人は異端視される。彼は二重スパイの嫌疑をかけられ、「始末」される。 

 医師のパーシヴァルやミュラーといった人間は、この異常な環境の中で適応してしまっている人間たちだ。パーシヴァルは医師としての倫理をもはや失ってしまっている。ゴシップや情報の漏洩を回避するために、彼はデイヴィスの「始末」をするのだが、それが異常視されない環境なのだ。 

 この環境に適応できない人間、さりとて反発もできない人間は、孤立していかざるを得ない。カースルもまた孤独に生きる人間であり、デイントリー大佐も然りである。彼らはそのようにしか生きられなかったのだと思う。 

 物語の後半、カースルに危険が迫り、彼は国外へ逃亡しようとする。ああ、しかし、この逃亡劇の寂寥感は胸に沁みる。スリルやサスペンスなんてここにはない。カースルは長年の交友のあったハリディ老人(古書店の店主)にも欺かれていたことが分かり、また、ホテルでばったり再会した旧友のブリットを彼は欺かなければならなくなる。欺き合い、スパイし合い、探り合う関係においては、誰をも信用してはならず、愛してはならなくて、人間は孤立していかなければならなくなるのだろう。この孤立感を僕は読んでいて痛々しいほど感じた。久しぶりにいい小説を読んだという満足感があると同時に、どうしてこの作品を読まず嫌いにしていたのか、自分の愚かさをも感じている。 

 

テキスト 

ヒューマン・ファクターグレアム・グリーン著(早川書房 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

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