3月9日(水):質の低い営業マン
今日、IT会社の営業マンが来た。サイトのことや動画のことで、商品の案内に来たのだ。はっきり言って、質の低い人たちだった。
他のところのHPや動画を見せてもらった。僕のこのサイトよりも、ああいう感じの方が集客につながるということなんだけど、僕には信じられない。まったく思想の伝わらない動画や、きれいなだけのHPで、一体何が伝わっているのだろう。僕がクライアントだったら、あのHPや動画だけではとても決められないし、却って信用できない。
僕のサイトはゴチャゴチャしているし、「活字だらけで殺風景だ」と言われたけど、このサイトでクライアントにどれだけの利得が生まれているかを知らないのだ。
彼らが例として見せてくれたようなHPだと、確かに綺麗で、印象が良くなるだろうし、集客につながるかもしれない。でも、クライアントがどれだけの出費を余計に出さなければならなくなるか、彼らはそこを考えたこともないのだろう。
僕のサイトを読んでくれた人は、ある程度僕や僕のカウンセリングに関してのイメージなり理解なりをしているので、最初からカウンセリング関係に入ることのできる人が割と多いのである。これによって予備面接期間がかなり短縮・省略できるのである。
従って、僕は僕なりに、集客よりも、現実に来てくれる人の利益になることを考えているわけである。そっちが優先されるべきことであって、集客っていうのは二の次のことなんだ。営業の人たちとはHPの活用目的の考え方が根本的に違うようである。
だって、そうだろう。HPのアクセスに関しては、9割がただ通過していくだけなんだ。どこでもそうらしい。入ってくれた人の1割が現実に来てくれるなり、買ってくれるなりしているのだ。その他の9割はただの通りすがりの人たちなんだ。僕はこの1割の人に資するようなものを作りたいと願うのだ。彼らは後の9割にアピールできないといけないと言っているのだ。僕からすると、なんでそんなことするかな、という気持ちになる。
通過する人は通過していけばいいのだ。ことさら振り向いてほしいとも、見てほしいとも思わない。見る人は見てくれるし、来る人は来てくれるものである。適度にやる分にはいいけど、あまり、こちらから「もっと見て、もっと来て」ってアピールしすぎるのは、ちょっとみっともない感じがするな。
でも、動画を作るってのは、なんか、面白そうとも思った。
僕の抑うつ期に先日の別れの意識が重なって、どうなるかと思っていたけれど、何とか、大事にならずにやっている。
人とは別れがくる。最後に僕に残るのは僕という存在だけだ。この思いがあるせいだろうか、朝から実存哲学に関する本を読み漁っている。わずかの空き時間にも、トレイに行く時も、本を手放さなかった。
生きている間に、もっともっと勉強したいと思う、知りたいと思う事、知らなければならないことが、あまりにも多すぎる。学ぶには、人生はあまりにも短いと、そんな思いに今は襲われる。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)