3月8日(月):パチンカーの会話
生活していても仕事をしていても、消耗品というものを必要とする。消耗品の嫌いなところは消耗してしまうというところだ。当たり前と言えば当たり前なんだけれど、そして、消耗したら追加しなければならなくなる。
そういうわけで、朝の時間の空いている時に消耗品を買い足しておく。その帰りに、パチンコ屋の喫煙場所で一服する。最近、パチンコ屋はトイレとしてではなく喫煙場として利用することが多くなった。
そこでタバコを喫っていると、そのお店でパチンコを打っていた人(パチンカーと呼ぼう)たちが喫煙しにやってくる。僕は何気なく彼らの会話を注意深く(とても何気ない感じではないな)傾聴することにしている。パチンカーの実態が分かるような気がするのである。
今回は二人のパチンカーの会話だった。どちらかと言えば一方が喋ってばかりで、他方は聞き役みたいな感じだった。
語り役が言う。さっぱりアカンわ、と。彼は相当負けたなと僕は思う。
彼はパチンコの展開を詳しく話す。そして、あれは設定が悪いわと言う。僕は、なるほど、そこに帰属させるのかと妙に納得する。
さらに彼は言う。でも、今日は一円も使っていない、と。カードでやっていると言う。カードというのはプリペイドカードみたいなものなのだろう。僕は思う、いやそれはお金を使っているのだと。ポイントカードみたいなものでも、ポイント分先払いしているようなものだから、やはりそれはお金を使っていることになるのだ。
最後に彼は、聞き役に向かって、お互い頑張りましょうといって、店内に消えていった。パチンコでは何も頑張るところなんてないのになと僕は思う。どんな努力をしても無駄な分野であると僕は信じている。
パチンカーたちの思考とはそういうものである。負けは設定の悪さに帰属するので、それは自分が悪いのではないということになる。他責的である。
現金を使用しなかったらお金を使ったことにはならないという思考は、いわば具体的操作期の思考である。前払いしているお金を使っているのだ。あるいは勝った時の分で賄っているとしても、その勝ちにお金を使っている、乃至は、その勝ちに至るまでにそれ以上のお金を使っているのだ。それはポイントと同じで、前払いしている分で賄ったというにすぎないのではないかと僕には思えてくる。
パチンコもデジタルの時代だ。デジタルに対しては、個人の努力がほとんど実らない。作業をするのはコンピューターである。人間は操作するだけである。個人がどれだけ努力してもコンピューターが変化してくれるわけではあるまい。頑張ろうにも頑張りようがないのである。
しかし、コロナ禍と言えども、パチンコする余裕のある人たちが多いようだ。それに費やすお金と時間に恵まれている人たちだということにしておこう。きっと、大半のパチンカーは最悪の生活を強いられていることだろうと僕は信じているのだけれど、今はそのことは考えないようにしよう。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)