3月6日:女性の社会進出

3月6日(土):女性の社会進出

 

 オリンピック委員会は、森会長の女性蔑視発言以後、やたらと女性を登用している観を呈している。取ってつけたようなやり方だなと思ってしまう。もちろん、登用される女性たちが悪いというわけではない。

 僕は男女が平等であることには大賛成である。男性に認められている権利は女性にも認められるべきである、同じように女性に認められている権利も男性に認められなければならないと思う。

 権利や機会、処遇が平等であることに僕は賛成しているが、あまり行き過ぎても好ましくないかもしれない。というのは、完全に平等にするというのはなかなか難しいかもしれないからである。平等を目指す意図があれば、諸々の事情が重なって結果的に不平等が生まれてしまったとしても、そういう場面があるとしての話だけれど、その場合、その意図の方を尊重しなければならないのだ。

 

 さて、男女平等、男女同権は賛成である。しかし、女性の「社会進出」なる言葉には疑問符をつける。この社会進出という言葉の「社会」とはどのような社会を指しているのか、それによって僕の見解は正反対のものになる。

 僕は子育ては立派な社会活動であると信じている。子育てや家庭を守ることよりも外に出て働く方に価値があるという考え方をしているとすれば、それは間違っていると思うのだ。その考え方、その価値観は資本主義に与するものである。お金を稼ぐことが最上の価値があり、それは子育て以上の価値があるということになってしまうからである。子育てや家庭が賃金労働より価値が低くなってはいけないように思うのだ。

 

 女性の社会進出ということが、そのように資本主義の枠内で考えられていいのかどうか僕には疑問に思えてくるのだけれど、もう一つ重要なことは、女性が進出する社会がどういう社会なのかである。

 それは男性社会である。男性が作り、男性が形成してきた社会ということであると僕は捉えている。それはこれまでの歴史があるのでそうなってしまうとは言え、男性社会に女性が入っていくことがそのまま「女性の社会進出」ということを意味するのだろうか、そういう疑問が沸きあがってくる。

 極端な話をすれば、それは「女性の男性化」ということにならないだろうか。男性と同じになることを女性に求めるということになってしまわないだろうか。もし、女性が男性化するとすれば、それは女性性の喪失ということになるだろうし、相も変わらず男性に従属している関係ということになるだろう。

 いくら女性を登用して、女性の意見を取り入れようとしても、全体が男性社会であれば、その意見は男性向けにアレンジされなければならなくなるだろう。ある一部門で女性が進出していても、その他の部門が男性社会のままであるとすれば、その一部門は男性化の方向に進んでしまうかもしれない。

 そのように考えると、女性の社会進出のためには、一度男性社会の構造を作り替えなければならないということになる。けっこう大きな事業となるだろう。これまでの社会構造を破壊して、一から作り上げていくくらいの気概がないと実現できないのではないかという気もする。

 

 一方、女性の社会進出によって、男性は何が求められるのか。案外、ここは取り上げられない。女性の意見を採用することか、女性に地位を与えることか、果たしてそういうことで本当に女性の社会進出が実現できたと言えるだろうか。

 女性の意見を無条件に受け入れることも、女性に役職を与えることも、それ自体では女性の社会進出とは言えないと僕は考える。男性が女性に迎合することも、男性に与えていたものをただ女性に与えるということも、どちらも本質的なものではないと思う。

 僕は思う、女性の社会進出の本当の姿は男性と女性の弁証法であるはずだと。男性と女性とが協力して第三のものを創造していくことだと思うのだ。男性によって作られたものも女性によって作られたものも、それだけでは平等とは言えないのである。そこから第三のものを弁証法的に生み出していくことである。それが本当の女性の社会進出ということにならないだろうか。

 

 まあ、なにはともあれ、「女性の社会進出」なんて響きは耳に心地いいかもしれないけれど、女性にとっては過酷な一面も含んでいると僕は思う。僕のようなダメおやじは「女性だから大目にみてあげよう」などと甘い評価をしてしまうのだけれど、そんな甘い考えも許されなくなるのだ。男性と同じように女性を評価しなければならないし、男性と同じ処遇を女性にもしなければならなくなるのだ。

 男性部下に対してはボロクソに言えても(本当はこの時点でアウトである)、女性部下に対しては言えないってのもダメなのだ。女性部下に対しても同じようにできないといけなくなる。

 社会進出ってのをあまり重要視しない方がよろしいようにも僕には思えている。平等はいいんだけどね。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

関連記事

PAGE TOP