3月4日(土):質素な生活
実にパッとしない一日だった。
今日はバイトがない。だから終日本業のことに精を出そうと決めていた。今やってることはサイト作業だ。だからサイト作業をメインにしようと思っていた。
ところがである、どういうわけかパソコンの調子がよくない。いや、Wi-Fiの調子が良くないのだろうか、しょっちゅう接続が中断される。そのため、HPの公開作業にめちゃくちゃ時間がかかる。公開ボタンを押して、後で公開できたかなと思って見ると、接続が中断されていてやり直したりとか、そういうことが立て続けに起こった。
面倒くさくなったので、適当なところで打ち切った。予定の半分以下の作業しかできなかった。
その他の時間はパソコン内の整理をする。室内の整頓をする。そして、普段よりも本を読むということに決めた。
今晩は手が空いているのだから、こういう時は呑み屋に顔を出すというのが僕の定番だったけれど、帰宅して本を読むことにした。
帰宅したのは23時ころ。そこから4時ころまで本を読む。その間、夕食をとったり、風呂に入ったりもしたけれど、小説を一冊読み切り、その他の本も読む。パッとしない一日だったが、本だけはよく読めた。
バイトはもっとしたい。僕のような人間は多少は外の世界に出て、他の人たちと一緒に仕事でもした方がいい。しかし、バイトの日数も、今のところ、これ以上に増える気配がない。なんとかしなければと思っている。
本業のカウンセリングの方は、まずダメだ。僕のやっていることは時代遅れもいいところである。時代錯誤も甚だしいくらいだ。そのことは僕も分かっているのだけれど、現在のカウンセリングに合わせるつもりはない。僕は僕のカウンセリングをやっていくだけで、僕でいいと思ってくれる人にだけ来てもらえたらいい。だから、僕が売れるということは今後とも見込めないと信じている。
細々と本業を続け、あとはアルバイトで食いつなぐ。そんな人生で構わない。その他の時間は本を読んで過ごすくらいでもいい。
今、ブログの復旧作業をやっている。今2014年辺りをやってる。読み直すといろいろ当時のことが蘇ってくる。書いて残しておくということは大事なことだなと改めて思う。
10年前と比べると、僕の生活はかなり質素になっていることに気づく。
まず、出歩くということがなくなった。買い物や外食がほとんどなくなった。喫茶店に入ってコーヒーを飲むことも好きだったけれど、今はまったくやってない。禁煙の店ばかりだからだ。週に一回、銭湯に行ってサウナで汗を流すという習慣もあったけれど、それもやってない。その銭湯が廃業したためでもある。
酒とタバコは相変わらずだ。酒の方は以前ほど飲めなくなっている。今、仮にお店で飲むとしても、高槻で行くお店は一軒だけになっている。あとは家で飲む。ブラックニッカの小瓶をそういう時は買う。180mlだからショットにして3杯くらいだろうか。それで314円だから安いものだ。それでも、先日は3杯分飲み切れなかった。途中で呑めなくなってしまう。
タバコは特に変化はないか。禁煙しようという気もない。ただ、バイト中は吸わないので、一日に数時間の禁煙タイムが生まれていることになる。とはいっても、深夜勤務の時だけ、こっそりと1,2本喫う。ちょうど中間あたりで、店外の清掃のために表に出るのだけれど、その時に、清掃しながらタバコを咥えている。客も来ないし、人通りもないので、少しくらいいいだろうなどと思っている。店外の清掃が終わると、そこで体操を少しだけする。喫煙も体操も眠気覚ましだ。時間にして5分から10分くらいのものだ。あとは勤務終了までは喫わない。
本とかCDはほとんど買わない。すでに所有しているものを読み直したり、聞き直したりしている。バイトをするようになってからは映画を観る時間も削られているので、映画をレンタルするということも久しく途絶えている。
外食はしなくなったけれど、外出先で腹が減るとコンビニに入ってパンとかおにぎりとか買っていた。今は、家でおにぎりをこしらえて鞄に入れておくようにしている。パン一個のためにコンビニに入るのが面倒くさく思われている。そのくせタバコ一個のためにコンビニに入るのだから矛盾していると言えば矛盾している。
鞄に忍ばせているおにぎりというのも、ごはんをサランラップでくるんだだけの代物だ。このサランラップは再利用である。両親がサランラップを使うのだけれど、一回使って捨てることになんか勿体ないような気持ちになる。そこで、きれいそうなのは置いておいて、ごはんにくるむわけである。そこまで貧乏しているというわけではないけれど、使い捨ての感じが勿体ないという気持ちに襲われるのだ。だから再利用してから捨てることに僕はしている。
僕の生活は以前よりも質素になった。これは欲が減少してきたということなのだろうと思う。若いころのように欲しいと思うものがなくなった。それはそれでいい面もあるけれど、なんだか生が縮小していくような感覚も覚える。どちらが良かったのか、今でも判然としない。
そんなことをしながら、今は日々を生きている次第である。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)