3月29日:神呪寺参り 

3月29日(火):神呪寺参り 

 

 今日は西宮の神呪寺へお参りに行く。定期的に行くのだけど、今年は初めてだ。 

 融通の神様らしい。僕もあやかりに行くわけだけど、基本的に、僕だけが儲かったらいいという発想はない。一か所にお金が集まるのではなく、全体的にお金が動かないといけないものだ。経済とはそういうものだ。 

 それと神呪寺というこの名前がいい。「呪」の字は、昔は「言葉」を意味していた。だから「神の言葉」という意味になる。そして、「神の言葉」とは「夢」を指して言っていた時代がある。僕たちが寝てる間に見る夢だ。夢は神からの言葉として重宝されていた時代があったということだ。 

 

 神呪寺さんだが、僕は仁川駅から歩く。甲陽園側から行く方が近いのだけれど、敢えて仁川から行く。これは日によって変わるが、甲山登山を含める時もある。今日は少し登りたい気分なので、甲山経由で神呪寺に向かう。 

 仁川駅。駅前のコンビニでタバコを吸う。ここで吸っておかないと、後で吸う場所がないからだ。若いお姉さんが火を貸してくれと来た。「いいですよ」と、できる限り爽やかな感じでライターを差し出す。火が付かない。ちょっと操作しにくいライターだ。「火、つきますか」と僕は親切に申し出る。その瞬間、ようやく火がついた。彼女は礼を言ってライターを返してくれる。「いやあ(お安い御用ですよのニュアンスで)」といって受け取る。 

 うむ、我ながら完璧だ。どこからどうみても爽やかなナイスガイに見える。ズボンのチャックが全開でなければね。 

 どうやら乗り換えの十三駅からあそこが全開だったようだ。乗り換えの時に、トイレに行きたくなった。でも、ちょうど電車が来るところだった。急いでトイレに入って、電車に駆け込んだのだった。その時からチャックが開きっぱなしだったようだ。 

 うーむ、カッコ悪いぜ。下手にカッコつけた後だけに、カッコ悪さが倍増してしまった感じがする。 

 

 それはともかく。仁川を上流へと、てふてふ歩いていく。調子が悪い。アキレス腱の辺りがキリキリ痛む。途中、寂れた商店で休ませてもらう。そこに親切なおばあちゃんがいてね、座っていきなさいよと椅子を出してくれた。 

 少し世間話的なことをして、僕はおばあちゃんにこれからウォーキングすると話す。コースを話すと、おばあちゃんは近道を教えてくれた。「地すべり資料館」から登っていくと近いらしい。じゃあ、さっそくそのコースで行ってみるわと言って、おばあちゃんと別れる。 

 なるほど、「地すべり資料館」からすぐに甲山森林公園の敷地に入るのだな。この森林公園は広い上に、縦横に遊歩道や登山道が入り乱れているので、どこをどう歩いているのかよくわからなくなる。取り敢えず、上へ上へと歩いていけばどこかに出るだろうと思い、上り詰める。 

 平日なので人は少ない。それでもすれ違う人たちや家族もあった。見覚えのある道まで出ると、あとは簡単だ。森林公園を出て、甲山へ向かう。 

 この甲山のコースは、最初は一部険しいところもあるけれど、道はしっかりついているので迷うことはないし、後半は階段ばかりになる。甲山頂上、台地になっている頂上で昼食だ。予定よりも早く到着した。近道のおかげだな。今度からこのルートで来よう。 

 甲山から神呪寺へ降りる。登山は登りよりも下りの方が危ない。ゆっくり歩く。景色がいい。街に近い山には特有の良さもある。眼下に町が見えるのだ。ちょっとお山の大将気分が味わえる。 

 神呪寺をお参りする。どうやって登って来たのだろう、車椅子の参拝者がいた。何かお手伝いできることはないかなと思ったけど、あんまり出しゃばったことはしないでおこう。仁川駅でのライターの件のように、不似合いなことをすると碌なことが起きなさそうに思った。 

 神呪寺から甲陽園まで下りる。バス道を歩いて下ってもいいのだけれど、森林公園の遊歩道や登山道を使って下りる。要するに、直線的に下るのではなく、紆余曲折しながら下ったわけだ。 

 甲陽園駅に着く。今日の旅もこれで終わりかと思うとなんだか物足りない気分もある。少々足りないくらいが一番いいのかもしれない。そう思い、帰宅する。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

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