3月27日(日):人さまざま
外に出ると、いろんな人を見かける。人間は興味深い。
駅のホームで電車を待っていると、老夫婦が隣に立った。彼らは桜の木を見る。夫の方が先に「見てみ、新しい枝が出てきてるやろ」と妻に言う。僕もつられてチラッと見る。なるほど、古い幹から新しい枝が出ていて、いわば世代交代が進行中だ。妻は「まだ咲いてないわね」と答える。夫は「いや、あそこ、新しい枝ができてるやろ」、妻は「いつ咲くのかしらね」、夫「もういい」。
夫婦の間でも(夫婦だからこそと言うべきか)会話が成立しないんだなあと思った。長年連れ添った夫婦ほど会話が成立しないのかもしれない。
水曜日頃に見かけた人たちだ。
ある飲み屋さんでのこと。いきなり男性が入ってきて「かばん、忘れてなかったか」と。鞄なら肩に掛けて店を出たとママさんが言う。この男性、どうやらあちこちハシゴして、どこかで鞄を失くしたらしく、家に帰って奥さんに散々叱られて、それで一軒一軒、今日ハシゴした店を回っている最中らしい。
「大切なものは入ってないんだけど」と彼は言うけど、嘘っぽい。それで「こんなんやったら、もう酒を止めんとアカン」と言う。
でも、その後、別の飲み屋でしっかり彼を見かけた。昨夜のことだ。案の定、彼は酔っぱらっている。酒呑みなんてそんなものだ。
ちなみに、彼が鞄を失くしたという日、店に若い女の子が飲みに来ていて、彼はその子にやたらと絡んでいたらしい。天罰が下ったなと、僕は思ったね。
飲み屋でやたらと女の子に絡むもんじゃない。話しかけたり、声を掛けたりするくらいは許せても、ベタベタ触ったりとかするのはよろしくない。
基本的に、僕はこちらからは声を掛けない。女の子の方から話しかけてくるくらいでなければいけないと僕は思っている。
今日は今日で、自分と対話しているおばさんを見かける。壁に向かって話しているのかと思ったけど、そこがウインドウになっていて、鏡のようになっているのだ。おばさんはそこに映る自分に話しているのだ。
そのおばさんに何があったのかは知らない。でも、それをする必要に迫られたのだろう。自分をそうして確認する必要ができたのだろう。
某飲み屋の女性。以前勤めていたお店の客で、どうやって調べたのか、彼女がここで働いているのを知って、いちいちやって来たそうだ。来て何をしたかというと、彼は彼女をさんざんこき下ろすだけだったそうだ。彼女は聞いていて不快だったし、他のお客さんと揉めないかとハラハラしていたそうだ。そして、また今度その人が来たらどうしようと、ひどく心配していた。
僕はすぐに分かった。僕の言葉で言うと、それは「別れの儀式」みたいなものなのだ。相手と別れる際に相手を破壊しないといられないのだ。そういうことをしてからでないと別れられないという人があるのだ。だから、きっともう来ないと思うと僕は彼女に伝えた。
これも昨夜のことだ。
高槻の狭いエリアのあっちゃこっちゃで飲むと、たくさんの顔見知りができる。
一人の男性がツンケンした感じで歩いている。けっこう速足だ。その後ろを飲み屋の女性が走って追いかけている。彼女は、あまり親しいわけではないが、顔見知り程度である。僕は彼女に気付いたけど、彼女は僕に気付かなかったようだ。まあ、そのシチュエーションでは無理もないけど、ああ、彼女、客を怒らせてしまったなと思った。
僕も前回のジャズ演奏の件のように、時にはイヤな思いをすることもある。怒りたくなる。でも、その店を選んだのは結局は自分なのだから、誰にもこの怒りをぶつけるわけにはいかないものだ。
これはいつだったかな、最近だ。
ホント、いろんな人がいるもんだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)