3月25日:カラオケ嫌い 

3月25日(日)カラオケ嫌い 

 

 今日は家庭の事情で一日中外出していた。こういう日は僕の機嫌が悪い。と言うのは、僕がやらなければならない本職の方が疎かになってしまうからである。何をしていても仕事のことが気になって仕方がない。でも、どうせその予定で一日が潰れてしまうのだったら、その予定を愉しめる方が絶対に得である。 

 膝の具合が悪くて、少し心配していたのだけど、何とか一日歩くことができた。多少はびっこを引いていたけれど、思っていた以上ではなかった。動かすと痛みがある。でもそれは我慢できないほどでもない。痛みを忘れている時もあった。痛みというものは、それは身体的なものであれ心理的なものであれ、常に痛みをもたらしているとは限らないものだ。 

 

 帰宅すると、母が歌番組を見ている。大抵は演歌だとか日本の歌だとかいう類の番組だ。別に構わない。何気なく聞いていると、酒を止めてから、あの面倒臭いカラオケから解放されているなということに気づいた。あのカラオケという奴だけは僕はどうにも我慢がならないのだ。ああいう場所で歌って愉しいものかね。僕は疑問に思うのだ。 

 歌っている人を見ていると、成りきっているというのか、陶酔しているというのか、そいう入れ込み方をする人もいるけれど、僕はどうもそこまではできなかった。それでもああいう所に行けば、歌え歌えと、歌うことをしきりに強要されてしまうのが腹立たしい。僕は静かに呑みたい性質なのだが。カラオケを歌えとしつこく強要するのもパワハラだと思う。嫌がることを強要するとう点ではその他の行為と同等である。 

 それでも人と一緒に呑むと、そういう付き合いもしなければならない場面というものがいくつも訪れる。その都度、付き合いだから仕方がないなと自分を納得させて付き合っていたのだけど、内心、いい迷惑だなと思っていた。断酒すると、そういう面倒な付き合いから解放されるという利点があるということに、今更ながら気づいた。 

 

 さて、今日のブログもダラダラと綴っている。こんなのを読む人がいるだろうかと不安に駆られつつ書いている。きっと、読んだ人は読むのに費やした時間を返せと憤られるのではないだろうか。 

 まあ、いいか。こういう時があっても。それにネットなんて時間の浪費ばかりである。「ばかり」と言うと語弊があるかもしれないので訂正しておくと、ネットで調べたりすると、けっこう時間がかかるものである。僕はそれでネットで何かを検索するということをしなくなったのだ。便利なように見えて、時間を浪費していることが案外あるのである。僕も他のサイトに目を通して、貴重な人生の時間を浪費したということをしょっちゅう経験したものだから、今日のこのブログくらい大目に見てもらっていいだろう。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

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